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札幌市にある北海高等学校から
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「校長先生から」カテゴリの記事一覧

校長より全校集会でのお話(開校記念日にちなんで)

2013年05月20日校長先生から

明日5月16日は北海高校の開校記念日です。明日の開校記念日で北海高校は128周年ということになります。北海高校の歴史は128年が過ぎて、129年目の歴史を刻み始めるということになります。
開校記念日にちなんで、今日は北海高校の歴史の一端について話をします。
北海高校の起源は1885年(明治18年)に開設された北海英語学校です。この時期に創立された私立学校で今も存在している学校はきわめて少ない。同じ年に創立された私立学校としては、たとえば英吉利法律学校、現在の中央大学があります。東京や関西の有名な私学はこの前後に創設されたところが多く、北海高校、北海学園は東京や関西の有名な私立の学園に匹敵する歴史と伝統をもつ、その意味で地方の私学としては特筆すべき学園です。

北海英語学校はどんな学校だったかというと、札幌農学校予科への入学をめざした中等教育機関でした。学校の種類でいうと各種学校で、夜間に学ぶ、いわゆる夜学です。校舎は南2条西1丁目にありました。明治18年3月15日に豊平館で140名余の生徒が集まって開校式が行われました。豊平館は、現在は中島公園にありますが、当時は現在の市民ホールの所にありました。北海道開拓使直属のホテルで文明開化のシンボルとして名高い鹿鳴館より2年早い明治13年(1885年)の建築です。128年前に開校式が行われた場所がいまだに残っているのは大変嬉しいことです。

さて、北海英語学校の生徒が進学をめざした札幌農学校は現在の北海道大学です。わが国最初の農業にかかわる高等教育機関として明治9年に設置されました。札幌農学校に入るためには、相当な学力が必要だったわけですが、当時札幌の中等教育機関といえば明治16年に設置された師範学校(教員になるための学校。現在の教育大学の前身です。)しかありませんでした。ですから、地元から札幌農学校に進学することはほとんど不可能だったわけです。札幌農学校の入学者の大半は道外出身者でした。

そこで札幌農学校卒業生である大津和多里先生(札幌農学校第3回生)らが札幌農学校予科への進学をめざして作ったのが北海英語学校でした。なぜ英語学校かといえば、札幌農学校で学ぶためには英語力が必須の条件であったからです。お雇い外国人という言葉がありますが、当時の高等教育機関では外国人が教えることが多かったわけです。たとえば有名なクラーク博士のように。教えられる側も当然、英語力が必要とされたということです。それが英語学校であった理由です。しかし、北海英語学校は英語の文法やリーダーを学んだだけではありませんでした。数学、地理、歴史、理学なども英語の原書を使って授業したといいます。つまり「英語を学ぶ」のではなく「英語で学ぶ」学校だったわけで、これも英語学校だった理由といえますし、ここに北海英語学校の大きな特色をみることができます。
北海英語学校は実際、多くの地元の青年たちを札幌農学校予科に送り込み、その役割を果たしましたが、北海英語学校には単に札幌農学校への受験予備校的な役割を超えたもの、新しい時代を切り拓いていこうという理念や志の高さ、いわばフロンティアスピリットをうかがい知ることができると思います。

明治34年に北海英語学校は中学部を設置します。明治30年代に入ると日清戦争後の影響で、札幌は北海道の行政・経済の中心としての位置を確かなものとして人口も増加しましたが、当時札幌には正式な中等教育機関としては明治28年(1895年)に設立された庁立札幌中学校(現在の札幌南高校)があるだけで、入学難が起こり、私立中学校設立の要望が高まったという時代的背景がありました。北海英語学校中学部は道庁の認可を受けたものであり、公的な中等教育機関としての地位を確立したといっていいわけです。北海英語学校中学部の入学式は明治34年(1901年)5月16日に南5条東2丁目にあった豊水小学校の旧校舎で行われました。この日を北海高校、北海学園は創立記念日としているわけです。中学部の校舎は豊水小学校の校舎を引き継いだもので、大変小さくてボロであったといいます。明治34年に校長の浅羽先生が時の衆議院議長・片岡健吉と「憲政の神様」と言われた尾崎行雄を学校に案内してきたことがありました。当時の卒業生の回想によると、尾崎行雄は全生徒の前で「玉は光る、ポロの中から出たらなお光る、諸君も玉でなければならない」と演説し、生徒たちは限りなく励まされたということです。その後、北海生の間ではしばしば「玉磨かざれば光なし」という言葉が使われたようです。

その後明治38年に文部省の認可を得て、私立北海中学校が発足します。北海道で唯一の私立男子中学校です。現在地に校舎を移転したのは明治42年(1909年)のことです。校長の浅羽靖先生は学校経営のために私財を投げ打って今日の北海学園の礎を築き「北海学園の父」とも称される方です。浅羽靖先生は、「百折に撓むことのない有為の社会人たれ」と、質実剛健・百折不撓の硬派北海の伝統を創られる一方で、「生徒には欧米の国歌をまず教えること、わが国では昔から和魂漢才が唱えられているが、これからは和魂洋才でなければならない」と目を世界に向けることを説いています。浅羽先生が教頭の戸津高知先生に語った言葉です。当時の西洋文明の偉大さを認め、いわばグローバルな視点に立っていたといってよいと思います。

北海中学校となってからも英語は重視され、英語教育には力が注がれていました。北海中学にはポーリン・レーン先生という外人女性教師がいました。ポーリン先生はアメリカ人宣教師の長女として京都に生まれ、4歳の時に父親がテレビ塔の南側にある北光教会に転任することになり、札幌に移り住みました。ポーリン・レーン先生が北海中学の教壇に立ったのは大正5年(1916年)から12年(1923年)までの間です。当時、男子中学校で外人女性教師を起用するということはきわめて異例のことでしたが、北海中学校の生徒は彼女に尊敬と親愛の情をもち、ポーリン先生もまた北海中学の校風を愛したといわれています。ポーリン先生在任中の大正11年(1922年)には第1回の校内英語大会が開かれました。大正13年(1924年)には英語研究部がつくられています。ポーリン先生のご主人ハロルドさんは北海道大学の先生でした。ご夫妻は太平洋戦争の時にスパイ容疑で検挙されアメリカに強制送還されたりして大変辛い時期がありましたが、戦後は再び札幌に戻りご夫妻とも北大や学芸大学で教鞭をとられました。札幌の街並みを見下ろす円山墓地にご夫妻のお墓があります。

また北海中学では、明治40年頃から卒業式に生徒の研究発表や演説が日本語と英語で行われていたといいます。野呂栄太郎、島木健作(朝倉菊雄)といった著名な卒業生も演説しています。野呂栄太郎は「安政条約の影響」と題して演説し、島木健作はクロポトキンの「青年に訴ふ」を題材とした英語演説を行っています。このような形で卒業式を行った学校はほとんどないのではないかと思われます。
 
北海高校の伝統と言うと、硬派北海のイメージが強いけれども、その教育の中には世界に目を向けた先進的な取り組みがなされていたということがわかります。新しい時代を切り拓くフロンティアスピリットもまた北海高校の誇るべき伝統であったということ、その点を強調しておきたいと思います。

近年、学校教育における国際化の推進とか英語教育の見直しなどが大きなテーマ、大きな課題として取り上げられていますが、今から128年前、遠く明治の時代に、こういうフロンティアスピリットをもって創られたのが北海高校の前身である北海英語学校であり、それを発展的に継承したのが北海中学校でした。そのことを、私たちは今一度学びなおしてよいのではないか、そんなふうに思います。
君たちにもぜひ、英語を一生懸命学んでほしいし、英語で学べるようにもなってもらいたい、札幌農学校を前身とする北海道大学にも進学してもらいたい、そして何より日本は今困難な課題をたくさん抱えているけれども、君たち若い世代にはその困難な壁を乗り越えて新しい時代を切り拓くフロンティアスピリットをもってもらいたいと願います。
北海生のフロンティアスピリットに大いに期待をして、以上で私の話を終わります。

平成25年5月15日
北海高等学校 校長 山崎 省一

校長より対面式でのお話

2013年04月10日校長先生から

昨日、入学式が行われ、397名の諸君が新しく北海生の仲間入りをしました。今日初めて全員が顔を揃えたことになります。今年の全校生徒数は1206名、北海高校は全道で最も規模の大きな学校のひとつです。
さて、新入生のみなさん、あらためて入学おめでとうございます。そして2・3年生のみなさん、新入生をどうぞよろしくお願いします。
新入生には、早く学校生活に慣れ、勉強や課外活動に打ち込んでもらいたいと思いますし、2年生・3年生には新入生のよき相談相手、よいお手本になってほしいと思います。
北海高校は、伝統的に生徒がそれぞれの個性を認め合い、励ましあいながら切磋琢磨する学校です。そのことが、ひたむきに物事に取り組み、連帯感が強く、明朗でさわやかな校風を生みだしていると思います。そして、これからもぜひそうあってほしいと願っています。みなさん一人ひとりが学校生活の主役です。そういう自覚をしっかりもって、それぞれが、自分の理想を求めて頑張ってください。そのことが北海高校をいっそう誇りのもてる学校にしてくれると思います。ぜひ、君達自身の手で、誇りの持てる北海高校を作り上げてください。
「初心忘るべからず」という有名な言葉があります。能楽の大成者・世阿弥の言葉ですが、「初心」とは何かをやろうと思い立ったときの純真な、そして謙虚な気持をいいます。新入生の諸君は、今抱いているそれぞれの決意を大切にして、それぞれのめざすべきものに向かって精一杯頑張ってもらいたいと思います。「初心忘るべからず」は本来「純真さ、謙虚さ」を忘れるなという意味ですから、物事に馴れて高慢になったり、ぞんざいになったりすることを戒める言葉です。初心を忘れたときに堕落が始まります。2・3年生にはぜひ新学期の始まりの今この時に自分の初心を振り返ってもらいたい、そして初心を振り返ることの大切さを学んでもらいたいと思います。

平成25年4月10日
北海高等学校 校長 山崎 省一

入学式 式辞

2013年04月09日校長先生から

ことのほか厳しかった冬が去り、札幌の街にも、ようやく春の訪れが感じられるようになりました。今日のこの佳き日に、学校法人北海学園理事長、また北海商科大学学長でいらっしゃる森本正夫先生をはじめ、北海学園大学学長・木村和範先生、北海学園札幌高等学校校長・大久保正先生、そして北海学園理事・役員の皆様、校友会、PTA、旧職員など関係各位のご臨席を賜り、また多数の保護者の皆様の見守る中、ここに北海高等学校の平成二十五年度・入学式を挙行できますことは、私たち教職員にとりましてこの上もない慶びとするところであります。

397名の新入生の皆さん、入学おめでとう。私たち教職員、そして皆さんの先輩となる2年生・3年生も皆さんの入学を心より歓迎しております。北海高校は、1885年(明治18年)の創立以来、今日まで128年の歴史を刻み、道内有数の伝統をもつ学校です。3万8千人を超える卒業生は、北海高校の卒業生であることを誇りとして、社会のさまざまな方面で活躍し、本校は名実ともに北海道を代表する私立高校として、全国にその名を知られております。

北海高校の歴史は、明治、大正、昭和、そして平成と、各時代を生きた青年たちのかけがえのない青春の歴史でもあります。それぞれの時代の中に刻印された青春の軌跡こそ、北海高校の歴史に他なりません。今また北海高校の歴史に新たな青春の1ページを加えることとなります。新入生の皆さんが、この北海高校を青春の舞台として、自分を磨き、輝かせ、互いに励まし合い、助け合いながら、自立した立派な若者として成長するよう心から願っております。

さて、皆さんは今、高校生活のスタート地点に立っています。それぞれにこれから始まる高校生活への夢や希望を抱いていることでしょう。多少の不安もあるかもしれませんが、何よりも大切なことは、義務教育を終え高校に入学した今この時が、自分自身の人生を自ら創造していく起点であるということです。まずそのことをしっかりと認識してほしいと思います。高校入学とは、自立した自分づくりの出発点に他なりません。

自分とは漠然と夢見たり、あてどなく探し回るものではありません。青春期はしばしば「本当の自分」の幻影をめぐる空転の季節となってしまいがちですが、自分とは、日々の生活と経験の中から、あるいは他者や世界との関わりの中から少しずつ創り出していくものです。北海高校での三年間の中には、自分づくりの契機となるもの、糧となるものが数多くあるはずです。ぜひ積極的な姿勢で高校生活に臨み、確かな自分といえるものを創り上げてほしいと思います。そのために、私たち教職員も力を尽くして皆さんをサポートし、この三年間、皆さんと共に歩みたいと思いを新たにしております。

さて、北海高校は星のマークを校章としております。星を校章とする学校はいくつもありますが、北海高校の場合は、論語為政篇に「政(まつりごと)を為すに徳を以ってすれば、譬(たと)へば北辰の其の所に居て衆星の之に共(むか)ふが如し」とあることに由来しております。これは論語の中で理想的な政治、いわゆる徳治政治、王道政治のあり方を述べたものであり、徳、人徳をもって治めれば人々が心から従うようになるということを、北辰すなわち北極星がその位置に定まり、その他の星がそれを尊びつつ共に動くことにたとえたものです。北辰すなわち北極星は、いわば気高い人間性の象徴といってよく、北海高校はその北極星を校章としているわけです。かつて北海生が歌った激励歌の中にも「衆星むかう北辰は 我が北海のしるしなり」という一節があります。星のマークは、北海高校のめざす教育と、北海生の誇りを象徴するものでありました。そして星のマークの校章に託された理念、人間教育を尊重する伝統は今も脈々と北海高校に受け継がれております。

北海高校は、皆さんに何よりも人間として成長してほしいと願っている学校です。勉強だけ出来ればそれでよいということではない、スポーツで活躍すればそれでよいということでもない。日々の勉強や部活動、生徒会活動、あるいは学校行事などさまざまな営みを通して、人間らしい心と頭と体をきちんと育んでもらいたいと思っています。皆さんが、星のマークを心に刻み、未来を切り拓く人間的な力を備えた若者に成長してほしいというのが北海高校の願いです。

また北海高校には、建学以来の基本精神を表す「百折不撓」という言葉があります。どんな困難に出会ってもくじけない強い精神のありようを示す言葉です。北海高校の卒業生に和田芳恵さんという文学者がおります。芳恵といっても女性ではなく男性です。大正14年に北海高校の前身である北海中学校を卒業しました。近代を代表する女流作家である樋口一葉の研究家として確固たる位置を占めるとともに、小説家としても活躍し「短編小説の名手」と称されました。和田さんは日本芸術院賞、直木賞、読売文学賞、日本文学大賞など数々の文学賞を受賞したすぐれた文学者です。その和田さんが昭和45年5月に母校であるこの北海高校を訪れて講演し、その折に書いていただいた色紙が本校の図書館に飾られております。そこには「歩いたところから道になる」という言葉が書き記されています。

和田さんの人生の道のりは決して楽なものではなく、むしろ非常に苦難に満ちたものでした。北海中学に在籍した当時も、破産して困窮する一家を支えるために代用教員として働かざるをえず、授業も受けられないという過酷な状況にありました。そんな和田さんを担任やクラスメイトが支えて勉強の手助けをし、教頭が育英資金を出してくれる資産家を探し出してくれたりしたのでした。和田さんは後にその作品の中で、「私は思わぬことがはじまっているので、どうしたらいいかわからない戸惑いを感じた。あまりにも北海中学が、貧しい生徒に親切すぎる思われた」と記しています。さまざまな困難や不利な条件を抱えた生徒たちをも受け入れ、支え抜き、その可能性を信じ続けたことは、北海の教育精神の強さと確かさの証しであったと思います。和田さんの文学との出会いも北海中学時代のことでした。北海中学は和田さんの人生の原点であったと言っても過言ではありません。

社会に出た後も、和田さんの人生は経済的困窮や病気など、決して恵まれたものではありませんでした。けれども和田さんは自分の道を歩き続けることで、かけがえのない立派な人生を創り上げていきました。和田さんが長い不遇な時代を経て、数々の円熟した作品を発表し、世に認められ高い評価を得たのは、晩年になってからのことです。直木賞を受賞したのは58歳の時であり、「最も遅れてきた作家」と称されたこともありました。著名な小説家である吉行淳之介は、和田さんを評して「和田芳恵氏の晩年は、文学の世界で起こった奇跡のようにみえる」が、「やはり長年の蓄積の上に咲いた花である」と述べています。和田さんは、度重なる不遇にも屈せず、暗く長い道を一歩一歩歩き続けることで、文学という自らの世界を切り拓き、その晩年に見事な大輪の花を咲かせたのです。和田さんの人生こそは「百折不撓」の人生そのものであったと思います。

とにかく、歩き始め、歩き続けなければ、自分の道は拓かれない。時に、つまずくことも、倒れることもあるかもしれません。しかし何度つまずき倒れても、その度に立ち上がり、歩き続けることが大切なのです。「歩いたところから道になる」。皆さんも、人間としての高い志、星のマークを心に刻み、この北海高校からそれぞれの人生の道の、確かな一歩を踏み出してください、本日の入学式がその記念すべきスタート地点となることを心から祈り、以上、式辞といたします。

平成25年4月9日
北海高等学校 校長 山崎 省一

校長より始業式にあたって

2013年04月08日校長先生から

ことのほか厳しかった冬が去り、札幌の街にもようやく春が訪れました。前年度で退職された北明校長先生に代わり、この春からは私が校長を務めることになりました。微力ではありますが、北海高校の教育のために力を尽くしたいと思いをあらたにしております。どうぞよろしくお願いします。また、新しく教頭には野田郁夫先生が就任しましたので併せてよろしくお願いします。

さて、今日からいよいよ新学期が始まりました。君たちも心新たに今日の日を迎えたことと思います。春は希望の季節であり、新しい出会いの季節です。君たちひとりひとりにとって、新学期が新たな希望と出会いの中で、よりよい自分を創りだすよい機会となることを願います。

少し漢字の話をします。新学期の「新」、新しいという漢字を思い浮かべてみてください。新しいという漢字は偏の部分が辛い(もともとは鋭い刃物を描いた象形文字、努力という意味がある)という字と、木が合成されたもの。旁(つくり)の部分はおのづくりといいますが、キンと音読みします。パンを一斤と数えたりしますね。この字(斤)は、大きなおの、まさかりのことですが、二つ重ねて「斤斤」で、いつくしむという意味があります。「新しい」という字はこの三つの要素の組合せでできた漢字です。ですから、「新しい」という漢字には、木をいつくしみ育て、それを努力して加工し、新たなものにして活用するという意味が込められているわけです。新しいというと、何か目先の変わっためずらしものというニュアンスがありますが、本当に新しくするのにはそれなりの準備と努力が必要だということです。
 
「大学」という中国の書物に「まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり」という言葉が記されています。今日の行いは昨日よりも新しくよくなり、明日の行いは今日よりも新しくよくなるように心がけようという意味です。殷王朝を創設した湯王という王様は、この言葉を盤(洗面のための器)に彫りつけて毎日自分を戒める言葉にし、大変立派な政治を行ったと言われています。本当に新しくあろうとすることは、なかなか大変なことだということを物語るエピソードです。
 
自分を変革し新しい自分を創り上げて行こうとする時に、最も必要なものは何か。それは勇気ではないかと思います。人は自分自身がつくりあげた「自分はこういう人間だ」という固定観念に縛られているため、新しい自分を創り上げていくことには困難が伴うものです。周囲からどんなふうに見られるかということが怖くて、変わらなければと思いながら自分を変えられないという人もいるでしょう。不安や怖れという困難な壁を乗り越えて、新しいよりよい自分を創り上げていくためには強い勇気が必要とされるのです。君たちには何よりも自分をよりよく変えていくための勇気をもってもらいたいと願っています。

新しい年度、新しい学年がスタートしましたが、どうぞ皆さんもこの春という季節を転機として、しっかりとした準備と努力を積み重ねながら、勇気をもって着実に新しい自分を作り上げていく、そんな一年にしてもらいたいと思います。

以上で年度の初めにあたっての私の話を終わります。

平成25年4月8日
北海高等学校 校長 山崎 省一