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札幌市にある北海高等学校から
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「校長先生から」カテゴリの記事一覧

平成28年度 始業式での話

2016年04月08日校長先生から

札幌の街にも春が訪れ、心地よい日が多くなりました。
さて、今日からいよいよ新学期が始まります。皆さんも心新たに今日の日を迎えたことと思います。春は希望の季節です。そしてまた新しい出会いの季節でもあります。皆さんひとりひとりにとって、この新学期が新たな希望と出会いの中で、よりよい自分を創りだすよい機会となることを願います。今年度は、耐震工事の一環として、古い木造校舎を取り壊し、その跡に新しい校舎を建築する工事が来週から12月までの長期間かけて行われます。皆さんにもいろいろと不便な思いをさせることになると思いますが、よろしくお願いします。
さて、昨日はなかった花が、今日は咲いているというように、自然はあるいは世界はいつも新しい。一日とて同じ日はなくて、日々新しい世界が生み出されています。私たちも、自然のあるいはこの世界や宇宙の原理を自分の生き方の根本に据えて生きていけたら素晴らしいと思います。とにかく与えられた一日一日を大切にして今年度も頑張っていきましょう。
とかく私たちは、こうだったらいいなというような遠い望みを抱きながら、目の前にあるなさねば成らないことに力を尽くさない、いいかげんに対応してしまうということがあるように思います。
ドイツの大文豪ゲーテの言葉を紹介しておきます。七十四歳のゲーテが、三十歳そこそこの詩人志望のエッカーマンという人にアドバイスした言葉です。
それは「いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。一歩一歩がゴールであり、一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。」(エッカーマン『ゲーテとの対話』)というものです。漠然とゴールを夢見て今現在をなおざりに過ごすのではなく、「一歩一歩がゴールであり、一歩一歩が価値をもたなくてはならない」そんな気持ちを持って日々の営みに向き合うことが大切だと言っているのです。
森鴎外の『妄想』(明治44年)という作品にもゲーテのこんな言葉が引かれています。「汝の責務を果たさんと試みよ。やがて汝の価値を知らむ。汝の義務とは何ぞ。日の要求なり。」君がしなければならないことをしっかり果たそうとしなさい。それによって自分自身の価値を知ることができるだろう。君の義務とはなにかといえば、それはその日その日が君に要求しているものだというのです。
鴎外自身、こういう言葉を支えにしながら一日一日を生き、その充実した人生を創り上げたのだと思います。
今日から始まる新しい一年、日々を生きる中で、それぞれに本当になさねばならない日々の要求に誠実に、真摯に向き合いながら頑張ってほしいと思います。

平成27年度 終了式の話

2016年03月22日校長先生から

 皆さんおはようございます。今年度も今日で修了ということになります。それぞれに今年度を振り返り、自分のあり方をきちんと総括して新年度につなげてほしいと思います。今年度は北海高校にとって130周年という節目の年でした。昨年6月にはギャラリー大通美術館を会場として130周年の記念展を開催し、多くの卒業生や一般市民の皆さんが来場し、北海の歴史や伝統の一端に触れていただくことができました。昨年は、加えて戦後70年、高校野球100年という節目の年でもあったので、北海高校や北海の卒業生が新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどでもさまざまな形で取り上げられ、私自身、130年という歴史の奥深さをあらためて実感しました。また、たとえば硬式野球部が全国最多出場記録を更新して36度目となる夏の甲子園大会出場を果たし、サッカー部も選手権大会全道大会で準優勝、他の多くの運動部・文化部もめざましい活躍を見せてくれたことを大変嬉しく思います。全校応援も何度も行うことができました。みなさんの頑張りを心から讃えたいと思います。その頑張りを新年度にもぜひつなげてほしいと思います。
 皆さん一人一人でいうと、心の中では今のままではいけないとか、本来こんなふうにあるべきだなどと思いながら、なかなか思うように自分を変えることができなかったという皆さんも少なくないと思います。自分をコントロールすることは難しい。「己に勝つことは、すべての勝利の中で最初の、そして最高のものだ。」という古代ギリシアの哲学者デモクリトスの言葉があります。真に自分の力を向上させ発揮するためには、進歩向上の比較を他人とするのではなく過去の自分とすることです。他人との比較でものを考えると、結局は不平、不満、妬み、愚痴ということになってしまいます。そうではなく自分の持っている可能性を信じ、今できることに力を注ぐことが大切です。
 大きな船の進む方向を変えるにはトリムタブというものを使うそうです。船の方向を変えるものは舵ですが、トリムタブというのはその舵についている小さな舵のことです。トリムタブを進みたい方向に向けることで水の抵抗力をコントロールし、変化した水の流れを利用して大きな舵を動かすことができるのだそうです。 私たちの生活にも、このトリムタブの発想を活用してみることができると思います。私たちは劇的に大きく変わることはできないけれども、それほど無理なくできる「ちいさな行動」に全力を尽くしていけば、「変革」の流れが生まれ、そこから大きな転換に繋がり目指す目的地に辿り着くことができる。
 明日から春休みですが、どうぞよい春休みを過ごしてください。新年度はまた新たな気持で頑張りましょう。

平成27年度 卒業式式辞

2016年03月01日校長先生から

式辞 生憎、荒れ模様の天候とはなりましたが、一進一退しながらも季節は確実に移り変わっていきます。春も間近な本日この佳き日に、北海学園大学学長・木村和範先生、北海学園札幌高等学校校長・大西修夫(のぶお)先生をはじめ、北海学園理事・役員の皆様、校友会、PTA、旧職員など関係各位のご臨席を賜り、また多数の保護者の皆様が見守る中、ここに北海高等学校・第68回卒業証書授与式を挙行できますことは、私たち教職員にとりましてこの上ない慶びとするところであります。北海高校の教育を支えてくださっている皆様に、あらためて心より厚く御礼申し上げます。
第68期390名の卒業生の皆さん、卒業おめでとう。卒業の時を迎えた今、皆さんの胸にはさまざまな思いが去来していることでしょう。本当にいろいろなことがあったことと思います。私たち教職員も、この3年間のさまざまな場面での皆さんの表情を思い起こし、深い感慨をもって今日という日を迎えております。
今年度、北海高校は創立130周年を迎えました。皆さんは創立130周年という記念すべき年の卒業生ということになります。この記念すべき年度に、皆さんは、たとえば硬式野球部が全国最多出場記録を更新して36度目となる夏の甲子園大会出場を果たし、サッカー部も選手権大会全道大会で準優勝、また先ほど学校長賞を授与された柔道部、アイスホッケー部、写真部など、さまざまな方面でまことに目覚ましい活躍を見せてくれました。
北海高校130周年は戦後70年、高校野球100年という節目の年でもあり、さまざまなマスメディアから本校が取材を受けることも度々ありました。そんな中で、特に印象深かった二人の卒業生について話をしたいと思います。
ひとりは大正5年3月に北海中学11期として卒業した佐藤九二男(1897〜1945)さんです。昨年の秋、北海道立近代美術館において日韓国交正常化50周年記念事業として「日韓近代美術家のまなざし」と題した展覧会が開催されました。この展覧会で佐藤さんの日本・韓国の美術界における功績がはじめて紹介され、唯一残された作品である自画像が展示されました。
佐藤さんは1914年(大正3年)に現在も続く本校美術部「団栗会」を創設した方です。「団栗会」は北大の「黒百合会」とともに、当時の美術界の新しい動きに連動し、その北の拠点ともいえる役割を果たしました。佐藤さんは北海卒業後、東京美術学校(現東京芸術大学)に学び、その後朝鮮に渡って美術教師として京城(現在のソウル)の第二高等普通学校に赴任、のちに韓国美術界を牽引することになる幾多のすぐれた人材を育てたということです。佐藤さんは朝鮮に近代美術の種をまくとともに、朝鮮の美術工芸の素晴らしさを認め大切にするよう教えたともいいます。美術史の上できわめて重要な役割を果たしながらも戦前と戦後、日本と朝鮮のはざまで長い間忘れられた存在となっていた佐藤さんの功績が再評価されたことに、私は新鮮な驚きを禁じ得ませんでした。
 もうひとりは、北海中学18期、大正12年3月に卒業した福地靖さんです。同期には北海野球部を38年間にわたって指導し「北海道高校野球の父」と称された飛沢栄三先生や教育者・歌人として活躍した横田昭八先生(拉致被害者・横田めぐみさんの祖父)、そして作家の島木健作(本名・朝倉菊雄)などがいました。福地さんは島木健作に大きな影響を与えた人物と言われています。福地さんは北海中学卒業後、飛沢先生と同じく早稲田に進学しましたが、その後、京城医科大学(現在のソウル大学医学部)に学び、医師として満州に渡って開拓団の人々の生活を支えました。終戦直前、ソビエト軍が満州に侵攻し、開拓団の人々の逃避行や集団自決という悲劇が起きました。福地さんは過酷な状況の中で、冷静な判断を下し、集団自決しようとする人々を生き延びるよう説得して多くの人々の命を救ったということです。福地さん自身は、残念ながら日本に帰ることはできませんでしたが、その人間的な行動は特筆すべきものとしてNHKの番組で取り上げられました。福地さんは飛沢先生と同じく古平の出身で、旧姓は近藤といい、実家は医院でした。現在、「北海道開拓の村」の旧北海中学校からほど近いところにある旧近藤医院こそ、その実家だということもNHKの取材の過程でわかりました。戦後70年を経て、歴史の中から蘇ってきた福地さんの生き方や精神に深い感慨を覚えます。
 佐藤九二男さん、福地靖さん、二人の卒業生のことを知り、私は内村鑑三の「後世への最大遺物」という言葉を思い浮かべました。内村鑑三は札幌農学校2期生で近代日本に大きな影響を与えた思想家です。同期に新渡戸稲造や宮部金吾がいました。ちなみに本校の起源である北海英語学校を創設した大津和多理先生は3期生です。
 「後世への最大遺物」(後の世への最大の遺せるもの)というのは、明治27年(1894年)に内村鑑三が行った講演のタイトルです。講演の内容を要約すると、「私たちが五十年の生命を託したこの美しい地球、この美しい国、この私たちを育ててくれた山や河、私はこれに何も遺さずに死んでしまいたくない。何かこの世に記念物を遺して死んでいきたい。それならば私たちは何をこの世に遺すことができるだろうか。金か、事業か、思想か、これらはいずれも遺すに価値あるものである。しかしこれは何人にも遺すことのできるものではない。またこれらは本当の最大の遺物ではない。それならば何人にも遺すことのできる本当の最大遺物は何であるか、それは勇ましい高尚なる生涯である。」というものです。高尚というのは、程度が高く気品があるということです。
 佐藤九二男さん、福地靖さん、この二人の卒業生は文字通り「勇ましい高尚なる生涯」を送った方々であったと思います。二人はお金や事業や思想を遺したわけではない。しかし、二人の生き方、生涯のあり方は、周囲の人々にとつての励ましであり、支えであり、救済であり、文字通り「後世への最大遺物」となったのです。お金や事業や思想を後の世に遺すことはもちろん立派なことですが、誰にでもできることではない。しかし、自分に与えられた条件、役割の中で人間的に立派に生きようとすること、「勇ましい高尚なる生涯」を送ろうとすることは心がけ次第で可能なことだと思います。
 卒業生の皆さん、どうぞ自分の理想に向かって向上心を燃やし続けてください。「一日一生。一日は貴い一生である。これを空費してはならない」と内村鑑三は述べています。一日一日を大切に生き、二度とないこの人生の中で、自分は何を成し遂げたいかというテーマにしっかりと向き合ってください。そして、自分を生きること、生かすことが他の人々を生かすことにもなる、そういうつながりの中にそれぞれの「勇ましい高尚なる生涯」を創っていってほしいと願います。
 結びとなりましたが、保護者の皆様、お子様のご卒業、本当におめでとうございます。心よりお祝いを申し上げます。またこの3年間、北海高校の教育にご理解とお力添えを賜りましたことに、あらためて感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
卒業生の皆さん、お別れの時がきました。アメリカ英語では、卒業式はcommencementカメンスマントゥといいますが、この言葉は本来、改まって開始するという意味をもつ言葉です。卒業は新たな出発の節目に他なりません。卒業生の皆さんは、北海高校での3年間の生活を終え、それぞれ次のステージでの生活をスタートさせることになります。どうぞ北海高校の卒業生であることに誇りをもち、それぞれが選んだ道をしっかりとした足取りで歩んでください。私たちは現在、変化が激しく、かつ困難な課題の山積する時代を生きています。そんな時代であるからこそ、現象に翻弄されることなく確かなものを見極め、困難に屈することなく未来を切り拓く、そんな人間像が強く求められています。それはいつの時代にも北海高校がめざしてきた人間像でもあります。卒業生の皆さんが、困難を乗り越えて逞しく生き抜き、新たな時代を切り拓いてくれることを心から期待しています。自分らしく、よりよく生きるためにこそ百折不撓であれ、そう切に願ってやみません。
卒業生のみなさんの前途に幸多からんことを祈念して、以上、はなむけのことばといたします。

平成28年3月1日           
北海高等学校校長 山崎省一

北海高校創立130周年における全校集会での校長先生のお話

2015年05月22日校長先生から

明日は開校記念日です。北海高校は1885年(明治18年)の創立以来、130周年を迎えたことになります。130年の歴史をもつ学校は、全国的にみても数少ないと思います。同じ1885年にできた学校としては英吉利法律学校、現在の中央大学が有名です。北海は、地方にある私学としては誇るに足る歴史と伝統をもっているといってもよいでしょう。

今日は北海高校の歴史の中で語り継がれてきた二人の人物、ふたつの言葉について話をしたいと思います。
皆さんは、職員玄関の近くに二つの銅像があるのを知っていると思います。ひとつは黒川利雄博士の像、もうひとつはオリンピックのゴールドメダリスト南部忠平先輩の像です。それぞれを制作した方も、梁川剛一、本郷新という北海OBの著名な彫刻家です。この二つの像は、文武両道をめざす北海の象徴的な人物といっても過言ではありません。

まず、文を代表する黒川利雄博士について話をします。黒川先生は明治30年(1897年)に三笠市にお生まれになり、明治42年に北海中学校に入学し、大正3年に卒業されています。北海中学時代はおとなしい真面目に勉強する模範的な生徒で、入学する時は13番という順位でしたが2年生からはずっとトップの成績で卒業式では卒業生を代表して答辞を述べておられます。
その後、仙台の旧制第二高等学校(現在の東北大学)に入学します。その時、第二高等学校受験者中1位〜3位まですべて北海中学出身者であったといわれています。そのトップが黒川先生でした。黒川先生はさらに東北帝国大学医科大学(現在の東北大学医学部)で学ばれ、医学者としての道を一筋に歩まれて、がん研究の権威として活躍されました。東北大学の学長、癌研付属病院の院長なども務められ、1968年(昭和43年)には文化勲章を受章されています。学士院という日本を代表する学者の組織で院長を務められもしました。いわば、学問の世界の頂点を極められたといってもよい方です。
黒川先生が北海中学で学ばれていた時の校長は浅羽靖先生でした。浅羽先生は代議士をしていらして、年に二、三度しか学校へはお見えにならず、卒業式にもお見えにならなかった。それで、黒川先生は卒業してから浅羽校長あてに、五年間の教育の場を与えられたことを感謝する手紙を出したそうです。返事は期待していなかったけれど、浅羽先生からはがきが届き、その中に、『山上在山山又山(山上に山在り、山また山)』という一節があったそうです。
「山上に山在り、山また山」――この言葉について、黒川先生は、「学問の道にも人生行路にも、山を乗り越えれば次にまた山があるんだと、一生努力し続けることが大事なんだと、そんな意味だと思いますが、この言葉はそれ以後ずっと、私の処世訓にさせてもらいました。」(「山上に山在り」)と書き記しています。
一生向上心を燃やし続け、努力し続ける。黒川先生の人生はまさに「山上に山在り、山また山」を実践したものであったと思います。
黒川先生は医者として患者さんを診る時には、必ず手を温めるように後輩の医者に指導するようなお人柄の方だったようです。第二高等学校の時代に、黒川先生は北海の校歌の作詞者である土井晩翠先生と出会い、戦後は診療にも当たられたそうです。北海の歴史の中で深い縁(えにし)を感じるエピソードです。

黒川利雄博士の胸像と並んでいるのが、南部忠平先輩です。文武両道をめざす北海の歴史の中で、武を象徴する存在です。北海中学時代から陸上競技の選手として活躍し、全国中学陸上競技大会、現在のインターハイに出場して4種目で1位、個人総合優勝し、全国にその名を知られる存在でした。早稲田大学在学中の1928年(昭和3年)アムステルダムオリンピックで三段跳び4位入賞、1932年(昭和7年)ロサンゼルスオリンピックでは同じ三段跳びで金メダル、走り幅跳びでも銅メダルを獲得しました。円山競技場のセンターポールの高さは、その時の優勝記録15m72cmに由来しています。また1931年(昭和6年)に走り幅跳びで7m98cmという当時の世界記録を樹立、この記録はその後39年間、日本記録でありつづけました。選手引退後は、新聞社の運動部長、1964年東京オリンピックの日本陸上チームの監督、短大の学長などを務められました。日本が生んだ最高のアスリートの一人です。
そんな南部忠平さんがご自分の人生を振り返られて、こんなことを述べておられます。
「私がこのように、それぞれの個性を大切にするとともに、自分に自信をもつことにこだわるのは、長い陸上生活を通じて身につけてきたことなのだが、その大元は、父と北海中学の戸津校長にあったように思う。戸津校長は、『学校の優等生より、社会の優等生になれ』が口癖で」あったと書き記しています。(『紺碧の空に仰ぐ感激の日章旗』)
戸津(高知)先生は、北海英語学校から札幌農学校に学び、浅羽先生の跡を継ぎ33年間にわたって北海中学の校長を務められ、生徒の個性を大事にされて、北海の自由な校風をつくりあげた方です。「学校の優等生より、社会の優等生になれ」――与えられた勉強をしていれば学校の優等生にはなれる。しかし、社会の優等生になるためには、もっと幅広い人間的な力が必要です。北海が人間教育ということを強く打ち出しているのもそのためです。北海の卒業生には、学校の優等生ではなかったかもしれないけれど、社会の優等生となった先輩は多いと思います。みなさんには学校の勉強にも一生懸命取り組んでほしいですが、それだけではなく自分を人間的に高めることを通して「世のため人のため」に尽くすことのできる、そんな「社会の優等生」をめざしてほしいと思います。
今日は、北海の文武両道を象徴する二人の偉大な先輩について話をしました。

 今年は130周年ということで、来月6月16日〜21日の期間、大通美術館というギャラリーを会場にして記念展を開催します。みなさんも是非、足を運んで北海の歴史と伝統に触れて、その教育精神を感じ取ってもらいたいと思っています。
 以上で話を終わります。

平成27年度 入学式 式辞

2015年04月10日校長先生から

式辞 花々が咲き始め、日ざしの心地よい季節となりました。
本日この佳き日に、学校法人北海学園理事長、また北海商科大学学長でいらっしゃる森本正夫先生、北海学園大学学長・木村和範先生、北海学園札幌高等学校校長・大西修夫(のぶお)先生をはじめ、北海学園理事・役員の皆様、校友会、PTA、旧職員など本校の教育を支えてくださっている皆様のご臨席を賜り、また多数の保護者の皆様が見守る中、ここに北海高等学校・平成二十七年度の入学式を挙行できますことは、私たち教職員にとりましてこの上もない慶びとするところであります。

409名の新入生の皆さん、入学おめでとう。私たち教職員、そして皆さんの先輩となる2年生・3年生も皆さんの入学を心より歓迎しております。北海高校は、1885年(明治18年)の創立以来、今日まで130年の歴史を刻む、道内有数の伝統をもつ学校です。明治、大正、昭和、そして平成と、それぞれの時代の中に刻印されたかけがえのない青春の軌跡こそ、北海高校の歴史に他なりません。今また北海高校の歴史に新たな青春の1ページを加えることを心から嬉しく思います。

人間教育をベースとしながら文武両道の実現をめざしてきた北海高校の教育的伝統は、生徒がそれぞれの個性を認め合い、励ましあいながら切磋琢磨するという校風を生みだしてきました。新入生の皆さんも、この北海高校を青春の舞台として、自分を磨き、輝かせ、そして互いに励まし合い、助け合いながら、自立した立派な若者として成長するよう心から願っております。

さて、本校の起源は今から130年前、1885年(明治18年)に創設された北海英語学校です。札幌農学校予科(現在の北海道大学)への進学をめざした中等教育機関でした。校長の大津和多理先生は札幌農学校三期生、その時28歳であったといいます。当時、札幌の中等教育機関といえば明治16年に設置された師範学校のみであり、地元から札幌農学校に進学することはほとんど不可能でした。札幌農学校のような高等教育機関では外国人が教えることが多く、そこで学ぶためには英語力が必須の条件であったからです。「英語学校」は時代と社会の必要に応えたものであったわけです。
 北海英語学校は英語の文法やリーダーを教えただけではありませんでした。数学、地理、歴史、理学なども英語の原書を使って授業が行われたといいます。つまり「英語を学ぶ」のではなく、「英語で学ぶ」学校だったわけです。北海英語学校は、多くの地元の青年たちを札幌農学校予科に送り込み、その役割を果たしましたが、その教育のあり方には単なる受験予備校的な機能を超えたもの、すなわち新しい時代を切り拓いていこうという理念や志の高さ、清新なフロンティアスピリットをうかがい知ることができるように思います。志によって学校が創られ、教師も生徒も志に生きた、そこに北海高校の教育の原点があります。
 
志とは自分の理想に向かって向上心を燃やし続けていくことです。志は人から与えられたり、誰かの真似をして得られるものではありません。二度とないこの人生の中で、自分は何を成し遂げたいかというテーマにしっかりと向き合い、ひたすら考えを深めることによって初めて確立されるものです。そして、志はお金持ちになりたいとか偉くなりたいとかいう、そんな自分の欲望中心の発想とは全く違うものです。自分を生きること、生かすことが他の人々を生かすことにもなる、そういうつながりの中でこそ、志は創りだされるのです。真に志が確立されたとき、どんな困難にも負けない強い意志と忍耐力がもたらされるでしょう。
新入生のみなさんの、これから始まる3年間の高校生活が、志を立て、志を育み、志を磨く、そんな意味ある日々となることを心から願ってやみません。

また北海高校には、建学以来の基本精神を表すものとして大切にしている「質実剛健」「百折不撓」という言葉があります。一昨年の卒業生とその保護者の皆さんが、卒業記念に寄贈してくれた書が皆さんから見て左手に掲げられております。「質実剛健」はうわべを飾ることがなくて誠実であり、心身ともに強くたくましいという意味です。「質実」であることは信頼される人間であるための基礎であり、「剛健」であることは自分らしく生きるために不可欠なことです。また「百折不撓」は何度失敗しても挫折してもくじけないという意味です。北海生の誇りは失敗しないことや挫折しないことではなく、失敗しても挫折してもそれにくじけないことにあります。新入生の皆さんには、自分らしくよりよく生きていくためにこそ、「質実剛健・百折不撓」の精神を自らの中に根付かせてほしいと願います。

北海高校での三年間の中には、自分づくりの契機となるもの、糧となるものが数多くあるはずです。ぜひ積極的な姿勢で高校生活に臨み、確かな自分といえるものを創り上げてほしいと思います。そのために、私たち教職員も精一杯、皆さんをサポートし、この三年間、皆さんと共に歩みたいと思いを新たにしております。

 最後となりましたが、保護者の皆様にはお子様の教育を本校に託していただき、心よりお礼を申し上げます。ご期待にそえるよう教職員一同力を尽くして日々の教育に取り組んでいきたいと思っております。

今日から始まる北海高校での三年間の生活が、新入生の皆さんにとって、人間的成長の新たな出発点となり、人生の確かな土台となることを心から願い、以上式辞といたします。


平成二十七年四月九日
北海高等学校校長  山 崎 省 一

修了式での校長先生のお話

2015年03月25日校長先生から

修了式で校長先生からいただいたお話は以下の通りです。


皆さんおはようございます。今年度も今日で修了ということになります。それぞれに今年度を振り返り、自分のあり方をきちんと総括して新年度につなげてほしいと思います。
心の中では今のままではいけないとか、本来こんなふうにあるべきだなどと思っていても、なかなか思うようにことを進めることができなかったという皆さんも少なくないと思います。自分をコントロールすることは難しい。今日は自分自身とのつき合い方ということについて、少し話をしたいと思います。

 まず身近な話から。人間は感情の生き物ですから、誰しも機嫌のいい時と不機嫌な時があります。フランスの哲学者アランがこんなことを言っています。
「もしたまたま道徳論を書かねばならないようなことがあれば、私は上機嫌を義務の第一位におくだろう」
 なぜ、上機嫌でいることが道徳上の最も重要な義務になるのか。ひとりで不機嫌になっていれば、それは自分で自分を苦しめているにすぎない。まわりに他の人がいるときには、こちらの不機嫌な顔によって相手に不快な思いをさせ、その結果、相手を苦しめることになる。自分も相手も苦しめないということこそが、道徳の最も基本的な原理だから、上機嫌であることは自分自身と他の人に対する道徳的な義務であるというわけです。人間は自分自身からも他人からも影響されやすい。自分が不機嫌な顔をしていれば、他の人の心にも不機嫌が影響します。それは決してよいこととは言えないでしょう。
そして、ショーペンハウエルという哲学者が「朗らかで陽気であることこそ、幸福の正真正銘の実体である」と言っています。幸福とは何かの定義はいろいろあるでしょうが、端的に言ってその実体は心が上機嫌の状態、心が晴れやかである状態といってよいのだと思います。逆に不機嫌が、不幸と結びつくことは言うまでもありません。「笑う門には福きたる」といいますが、このことわざには深い真理がこめられているといっていいでしょう。
それでは、上機嫌でいるためにはどうすればよいかということが問題になります。アランはたとえ心が不機嫌であっても、上機嫌な顔をしていることが大切なのだと言っています。心と顔はつながっている。つながっているということは、おたがいに影響を及ぼすことができるということです。
アメリカの心理学者ウイリアム・ジェームズもこんなふうに言っています。
「動作は感情に従って起こるように見えるが、実際は、動作と感情は並行するものなのである。動作のほうは意志によって直接に統御することができるが、感情はそうはできない。ところが、感情は、動作を調整することによって、間接に調整することができる。したがって、快活さを失った場合、それを取り戻す最善の方法は、いかにも快活そうにふるまい、快活そうにしゃべることだ。」
心を心で変えることは難しいことです。私たちはしばしば、心を心で変えようとして自分を苦しめます。心は顔で変えるしかない。心つまり内側を変えるには顔つまり外側を変えるしかないのです。このことが、自分と上手につき合っていくために肝心なことです。
そう考えると、柔道・剣道・弓道といった武道や、茶の湯・生け花などの芸道に代表される日本文化が、型というものを非常に大事にしている意味もよくわかります。先ず型を身につける、というのは単なる技術論ではないと思います。つまり外側を整えることによって心を整えていくという知恵が、そこに働いているのだと思います。また、禅宗のお坊さんたちが、立ち居振る舞い、靴を揃えること、掃除すること、食事することなど日常の動作を修行としてとらえているのも、外側の営みが内面と深く関わっていることに基づいているからでしょう。このことの重要性を、私たちもしっかり認識しておくべきだと思います。動作、表情、服装、整理整頓など日常生活の中のさまざまな心がけや工夫によって、私たちは自分の心をコントロールすることができ、周囲の人々に良い影響も、逆に悪い影響も与えうるのだということです。
自分自身とのつき合い方について、少し話をしました。
 明日から春休みですが、どうぞよい春休みを過ごしてください。新年度はまた新たな気持で頑張りましょう。

第67回 卒業式 学校長式辞

2015年03月03日校長先生から

式辞 厳しかった冬も終わりを告げようとしています。春の息吹も感じられる本日この佳き日に、学校法人北海学園理事長、また北海商科大学学長でいらっしゃる森本正夫先生をはじめ、北海学園大学学長・木村和範先生、北海学園札幌高等学校校長・大西修夫(のぶお)先生、そして北海学園理事・役員の皆様、校友会、PTA、旧職員など関係各位のご臨席を賜り、また多数の保護者の皆様が見守る中、ここに北海高等学校・第67回卒業証書授与式を挙行できますことは、私たち教職員にとりましてこの上ない慶びとするところであります。北海高校の教育を支えてくださっている皆様に、あらためて心より厚く御礼申し上げます。

第67期458名の卒業生の皆さん、卒業おめでとう。卒業の時を迎えた今、皆さんの胸にはさまざまな思いが去来していることと思います。楽しかったこと、嬉しかったこと、つらかったこと、悔しかったこと、悲しかったこと、本当にいろいろなことがあったことと思います。私たち教職員も、この3年間のさまざまな場面での皆さんの表情を思い起こし、深い感慨をもって今日という日を迎えております。

アメリカ英語では、卒業式はcommencementカメンスマントゥといいますが、この言葉は本来、改まって開始するという意味をもつ言葉です。卒業とは新たな始まりに他なりません。卒業生の皆さんは、北海高校での3年間の生活を終え、それぞれ次のステージでの生活をスタートさせることになります。その節目の時にあたって皆さんにあらためて考えてほしいことは、「学ぶ」ということの意味です。

本日、高校を卒業する皆さんは、義務教育も含めると既に12年間という長い間、学校という場で学び続けてきました。これまでの学校教育では、伝達と受容という形式が学びの基本的なスタイルになっていたと思います。先生が教える知識を受け入れることの繰り返し、その結果、もしかすると学ぶことと教えられることを取り違えてしまうということがあったかもしれません。
学ぶことは人間が人間らしく生きてゆくために不可欠なものであり、学ぶ力は生きる力そのものに他なりません。学ぶことは人間が人間として生きてゆくための主体的な営みです。他人から自分のなすべきことを指図されることから解き放たれることであり、自分自身と自分の置かれている状況をよりよくしていくためのものです。皆さんには、何よりも主体的に学ぶ姿勢を身につけてほしいと強く願います。

林竹二さんという方がいました。教育哲学者であり、昭和を代表する教育者の一人です。東北大学で教鞭をとっていましたが、後に宮城教育大学の学長となってからは、全国各地の小学校・中学校を回って、自ら児童・生徒と共に対話的な授業を実践しました。「人間について」という授業が最も有名です。その林竹二さんの言葉を紹介します。『学ぶということ』(国土社・新書 1978年)という本の中にでてくる言葉です。

「学ぶということは、覚えこむこととは全くちがうことだ。学ぶとは、いつでも、何かがはじまることで、終わることのない過程に一歩ふみこむことである。一片の知識が学習の成果であるならば、それは何も学ばないでしまったことではないか。学んだことのあかしは、ただ一つで、何かが変わることである。」

学んだことの証はただひとつ、何かが変わること――たとえ失敗や挫折があったとしても、それを機に自分が変わることができたならば、そこには大きな学びがあったことになります。学ぶということは、決して知識を習得するだけのことではないのです。自分が変わる、すなわち自分の考え方やものの見方、そして行動が変われば、世界も変わります。今まで見えていなかったもの、見過ごしていたもの、あるいは見ようとしていなかったものがはっきりと見えるようになり、新しい世界が現れるのです。そこに学ぶということの最も大きな人間的価値、人間的意味があるのだと思います。
皆さんは、今、学びの新たな出発点に立っています。それぞれが選んだ次のステージで、真摯に学び続け、よりよく変わり、新たな自分を創り上げてほしいと願います。

もうひとつ、19世紀アメリカを代表する思想家・哲学者であり作家・詩人でもあったエマーソンの言葉をみなさんに贈りたいと思います。それは『社会と孤独』という著書の中に出てくる「汝の馬車を星につなげ」という言葉です。
「汝の馬車を星につなげ」――自らを乗せて人生の旅路を走る馬車。その馬車を、地上を駆ける馬にではなく悠久の天空を進む星につなげとエマーソンは言うのです。夜空に輝く星は、いうまでもなく私たちの精神を導く理想の象徴です。「汝の馬車を星につなげ」―エマーソンはどんな時も自分の理想を高く掲げ、志を見失わずに生きよと言っているのです。
皆さんも、これからの長い人生、日々のあわただしい生活に埋没してしまったり、目先のことだけに想いが走ってしまうこともあるでしょう。また失敗や挫折や逆境の中で、疲れ果て、心が結ぼれて沈み果てることもあるかもしれません。しかしそんなとき、「汝の馬車を星につなげ」という言葉と北海高校の校章であるスターのマークを思い出してください。そして、みなさんそれぞれの理想や志を思い起こし、自らを励ましてほしいと思います。

 結びとなりましたが、保護者の皆様に申し上げます。お子様のご卒業、本当におめでとうございます。心よりお祝いを申し上げます。またこの3年間、北海高校の教育にご理解とお力添えを賜りましたことに、あらためて感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

卒業生の皆さん、お別れの時がきました。卒業は新たな出発の節目に他なりません。どうぞ北海高校の卒業生であることに誇りをもち、それぞれが選んだ道をしっかりとした足取りで歩んでください。私たちは現在、変化が激しく、かつ困難な課題の山積する時代を生きています。そんな時代であるからこそ、現象に翻弄されることなく確かなものを見極め、困難に屈することなく未来を切り拓く、そんな人間像が強く求められています。それはいつの時代にも北海高校がめざしてきた人間像でもあります。卒業生の皆さんが、困難を乗り越えて逞しく生き抜き、新たな時代を切り拓いてくれることを心から期待しています。自分らしく、よりよく生きるためにこそ百折不撓であれ、そう切に願ってやみません。
卒業生のみなさんの前途に幸多からんことを祈念して、以上、はなむけのことばといたします。
平成27年3月1日、北海高等学校校長 山崎省一

全校集会が行われました

2014年07月25日校長先生から

夏休みに入るにあたり、本日全校集会が行われました。集会では、校長先生から夏休み中をどのように過ごすかについて、アドバイスがありました。校長先生の話は以下の通りです。


全校集会での話 (2014・7・25)

いよいよ明日から夏休みに入ります。今年の夏休みは2号館(第一職員室や事務室、物理・生物教室、芸術教室がある校舎)の耐震工事や体育館ステージの改修工事、1号館トイレの改修工事などかなり大がかりな工事が行われます。生徒の皆さんにも何かと不便をかけることになりますが、よろしくお願いします。
 夏休みはある程度まとまった自由な時間をもてる時期だと思います。それぞれの時間管理の力が問われることにもなります。時間を上手に活用して、充実した夏休みを過ごしてください。

もと大リーガーの松井秀喜さんがかつてこんなことを語っていました。
「失敗と上手につき合っていくためには『どうにもならないこと』ではなく『いま自分にできること』に集中するしかありません。」
 松井さんは現役時代、怪我やスランプなど、多くの困難を抱えながら頑張りぬいた方です。実体験に基づいた説得力のあることばだと思います。
 
一方、今も現役で活躍するイチロー選手は、こんなふうに言っています。
「自分にコントロールできることとできないことを分ける。自分で制御できないことに関心をもたないことです。」
 「自分にできないこと」は「どうにもならないこと」ですから、結局、松井さんと全く同じことを言っているわけです。
 
野球界の頂点を極めたふたりが、異口同音に、自分にできることに専念することの重要性を強調しているのは大変興味深いことです。

 普段あまり意識しないことですが、私たちの人生で本当に思い通りになるものは自分自身しかありません。私たちはとかく環境だとか他の人のせいにして不平不満をもつことが少なくないけれども、しかし環境も他人も自分の思い通りに変えられるものではありません。自分の意思で変えられないもののために悩むのではなく、自分の意思で変えられるもの、すなわち自分自身をコントロールすることに専念すべきであるという考え方には、人生全般に通じる深い知恵があります。

 自分にコントロールできることとできないことをしっかり分けて考える。自分にコントロールできることはなにかを考え、いま自分にできることに全力で取り組む。そういうあり方を日々の生活の中で実践したいものだと思います。
 
徒に「どうにもならないこと」で悩んだり振り回されたりするのではなく、「いま自分にできることに集中する」、「自分自身をコントロールすることに専念する」、そんなあり方を若いうちから身につけられたらどんなに素晴らしいだろうかと思います。

 明日から始まる夏休みは、「いま自分にできることに集中する」「自分自身をコントロールすることに専念する」、そういうあり方をトレーニングするためのよい時期ではないかと思います。どうぞ、よい夏休みを過ごしてください。

以上で、私の話を終わります。

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開校記念日(創立129周年)の全校集会のお話

2014年05月17日校長先生から

(2014.5.15)

北海高校は明日開校記念日を迎えます。北海高校の起源は1885年(明治18年)創立の北海英語学校です。北海英語学校は3月15日に140余名の生徒を迎えて開校式を行ったという記録があります。北海英語学校は1901年(明治34年)、道庁認可、3年制の中学部を創設します。いわば正式な中等教育機関として認められたわけで、この中学部の入学式が5月16日でした。159名の生徒を迎えて行われたそうです。北海高校の開校記念日は、北海英語学校中学部の入学式に因んでいるわけです。この中学部が、1905年(明治38年)に戦前の北海道で唯一の私立中学校であった北海中学校となり、1948年(昭和23年)に現在の北海高校となりました。
北海高校は明日の開校記念日で129周年を迎えます。同時に130年の歴史に歩みを進めることになります。

北海高校の歴史は、明治、大正、昭和、そして平成とそれぞれの時代を生きた若者の青春の軌跡に他なりません。そして、いつの時代も青春はそれぞれの時代がどんな時代であったかによってそのありようが大きな影響を受けるものです。

札幌農学校への進学をめざした北海英語学校の時代は、北海道の開拓の時代であったばかりでなく、近代という時代そのものを切り拓く時代でした。昨年も話をしましたが、北海英語学校は英語の文法やリーダーを学ぶだけではなく、数学、地理、歴史、理学なども英語の原書を使って学ぶ学校であり、新しい時代を切り拓いていこうというフロンティアスピリットをもった学校であったと思います。向学心に燃えた明治の若者たちのことを思うと、大きな励ましを受けるような気がします。

哀しい青春の時代もありました。戦争の時代の青春です。戦時下においては学校も戦争の大きな影響を受けました。たとえば太平洋戦争末期、戦局が日本に不利となっていた1944年(昭和19年)には、北海中学校の校舎は軍隊の兵舎として借り上げられ、北海生は隣の札幌商業で授業を受けなければならなくなったりしました。また勤労動員といって、当時の中学生はかなり長期にわたって土木作業や農作業に従事しなければならず、中には重労働のため病気となって亡くなった生徒もいました。学生でありながら、授業を受けることができない時代もあったわけです。

昨年の暮れ、東京の法政大学から「学び舎から戦場へ―学徒出陣70年法政大学の取り組み―」という企画の展示会を開くにあたって、本校が所蔵している資料を貸し出してほしいという依頼がありました。その資料とは本校の卒業生である坪谷幸一さんの遺書です。

坪谷さんは、昭和16年3月に北海中学校を卒業しています。中学36期生です。坪谷さんは大正9年に札幌で生まれ、小学校を卒業した後は、札幌鉱山監督局の給仕として働く一方、向学心が旺盛で札幌夜間中学(現在の札幌西高校定時制)に入学しています。そして、職場の軟式野球部に入部したことが、坪谷さんの人生の転機となりました。坪谷さんは180cmの長身から投げ下ろす速球と抜群の制球力でピッチャーとして、その素質を認められるようになったのです。昭和13年、坪谷さんは、当時北海中学の名監督として知られた飛沢栄三先生に勧誘されて北海中学の3年生に編入学し(旧制中学は5年制)、野球部のエースピッチャーとなります。昭和14年には全国中等学校優勝野球大会(現在の高校野球大会)で全道決勝に進出しますが、札幌一中(現在の札幌南高)に1−2で惜敗します。しかし、翌昭和15年に同じく決勝で札幌一中と対戦し、今度は4−1で勝って甲子園出場を果たしました。甲子園では山陰地方代表の松江商業と対戦し、延長14回に及ぶ熱戦の末、2−3で惜敗します。坪谷さんは北海中学卒業後、法政大学に進学して野球を続けます。しかし、間もなく坪谷さんは戦争の時代に巻き込まれていきます。学徒出陣しなければならなくなったのです。

学徒出陣とは、第二次世界大戦末期の1943年(昭和18年)以降、戦局の悪化に伴う兵力不足を補うために、それまで大学生に認められていた徴兵猶予を停止し、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系の学生を在学途中で徴兵し出征させたことです。(理系の学生は兵器開発など戦争継続に不可欠として徴兵猶予が継続されました。)翌年1944年には徴兵年齢が20歳から19歳に引き下げられています。学徒兵の総数は13万人に及んだといわれていますが、正確な数は未だ明らかになっていません。

1943年(昭和18年)10月21日に東京の明治神宮外苑競技場で「出陣学徒壮行会」が行われました。強い秋雨の降る中、行進した学徒兵のその中に坪谷さんもいたはずです。坪谷さんはその後、海軍少尉となり神風特攻隊の隊員となります。さきほど坪谷さんの遺書と言いましたが、それは特攻隊として出撃する前に、坪谷さんが恩師の飛沢先生に出した手紙のことです。これがその手紙です。一部を読んでみます。

「中学時代以来、今日に至る迄、深き慈みをうけし海山のご高恩、誠に感謝の言葉も御座居ません。
この世では何に一つ御恩返しらしきことも致さず、このまま御別れせねばならない事は何により心苦しく申訳なく思ひます。私が見事敵艦を刺し違へたと御聞きになりましたならば、之がせめてその御恩返しと何卒褒めてやって下さいませ。
先生も御承知の如く、私達の出撃は再び帰ることのなき出撃で有ります。」

坪谷さんから恩師である飛沢先生への感謝とお別れの手紙、まさに「遺書」です。
坪谷さんは1945年5月11日、鹿児島の第二国分基地から神風特攻隊として沖縄に飛び立ちました。しかし、突如として飛来した爆撃機と空中衝突し、帰らぬ人となってしまいました。坪谷さんはそのときまだ24歳だったと思います。北海高校は毎年、沖縄に修学旅行に行っていますが、その沖縄を守ろうとして飛び立って行った先輩がいたわけです。平和な時代であれば、坪谷さんは好きな野球に打ち込みどれほど活躍しただろうかと思われてなりません。

『北海百年史』には、「1940年に甲子園に出場した野球部レギュラー九人のうち、投手の坪谷幸一をはじめ四人が戦死、もしくは戦病死で亡くなっている。」と記されています。若い命とそこに託された豊かな可能性が永遠に断ち切られてしまう、そんなことが珍しくない悲惨な時代だったのです。

 あたりまえと思っていることも時代が違えばそうではありません。歴史を学ぶことのひとつの意味がそこにあります。また東日本大震災のような大きな災害によっても、私たちはあたりまえと思っていた日常が一瞬にして崩壊してしまうことを知りました。日々起こっている事故や病気も、無論私たちと無縁ではありません。

現在、私たちはあたりまえのように学校に通い、学び、さまざまな活動に打ち込むことができます。しかし、何かひとつ歯車が狂えばあたりまえではなくなってしまいます。あたりまえと思っていることの中にあるありがたさを見つめ直し、そのありがたさを十分活かせるよう思いを新たにしてほしいと思います。
開校記念日にあたっての私の話は以上で終わります。
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平成26年度 入学式 式辞

2014年04月09日校長先生から

入学式・式辞(2014・4・9)

式辞 ことのほか厳しかった冬が去り、札幌の街にも、ようやく春の訪れが感じられるようになりました。本日この佳き日に、学校法人北海学園理事長、また北海商科大学学長でいらっしゃる森本正夫先生をはじめ、北海学園大学学長・木村和範先生、北海学園札幌高等学校校長・大西修夫(のぶお)先生、そして北海学園理事・役員の皆様、校友会、PTA、旧職員など関係各位のご臨席を賜り、また多数の保護者の皆様の見守る中、ここに北海高等学校・平成二十六年度の入学式を挙行できますことは、私たち教職員にとりましてこの上もない慶びとするところであります。

430名の新入生の皆さん、入学おめでとう。私たち教職員、そして皆さんの先輩となる2年生・3年生も皆さんの入学を心より歓迎しております。北海高校は、1885年(明治18年)の創立以来、今日まで129年の歴史を刻み、道内有数の伝統をもつ学校です。明治、大正、昭和、そして平成と、それぞれの時代の中に刻印された青春の軌跡こそ、北海高校の歴史に他なりません。今また北海高校の歴史に新たな青春の1ページを加えることを心から嬉しく思います。とりわけ今年度の入学生からは、特進・進学両コースともカリキュラムを刷新し、特進コースにSクラスを新設するなど、教育内容を質・量の両面でグレードアップさせるべく、指導体制の強化に努めてまいりました。私たち教職員も、よりいっそう充実した教育を展開できるよう新たな決意をもって今日の日を迎えております。

人間教育をベースとしながら文武両道の実現をめざしてきた北海高校の教育的伝統は、生徒がそれぞれの個性を認め合い、励ましあいながら切磋琢磨するという校風を生みだしてきました。新入生の皆さんも、この北海高校を青春の舞台として、自分を磨き、輝かせ、そして互いに励まし合い、助け合いながら、自立した立派な若者として成長するよう心から願っております。

さて、ニーチェという哲学者の言葉に「脱皮できない蛇は滅びる」という言葉があります。「脱皮」はみなさんご存知のように、昆虫や爬虫類が成長のために古くなった外皮を脱ぎ捨てることです。ニーチェは続けます。「人間もまったく同じだ。(中略)常に新しく生きていくために、わたしたちは考えを新陳代謝させていかなくてはならないのだ」と。私たち人間にとって「脱皮」とは、古い考え方や習慣から抜け出して新しい方向に進むことに他なりません。とかく人間は昨日と同じように今日を、今日と同じように明日を生きていきます。言葉を換えれば自分が自分の真似をしながら生きる、自己模倣を繰り返す存在なのです。

新入生のみなさんには、まず自己模倣からの脱皮ということを訴えたいと思います。新たな自分づくりの志をもってほしいと思うのです。高校時代は、自己を確認し、変革し、受容するというひとつづきの人間的な営みを生きる最初の時期ではないかと考えるからです。
私たちは自分の意思ではなく与えられた命として、いわば受け身のかたちでこの世に存在することを始めました。しかし、与えられた生を受け身ではなく、主体的に自分の生として引き受けること、考えてみれば、そのつじつまの合わない難解な転換と変革をどのように成し遂げていくか、そこに高校時代の最大のテーマがあるように思います。

みなさんもこれまでの人生の歩みの中で、それぞれに自分の生きるスタイルやポーズを身に付け、もしかすると頑なな自分の殻を身にまとっているかもしれません。新入生のみなさんには、中学時代までの自分から脱皮しようとする強い決意をもって、高校生活のスタートを切ってほしいと思います。新しい学校、新しいクラス、新しい友人、さまざまな出会いに満ちたこの時期は、何よりも新しい自分を発見し、生み出してゆくべき時機なのです。

自己模倣から脱皮し、自分を変革していくことは、無論、容易なことではありません。現実の自分のありようを直視せずに、はかない夢や空想に浸っていたり、あるいは安易に自分を見限って、あきらめや怠惰に流されたりしてはいないか、自らに問いかけてみなければなりません。等身大の自分をしっかりと見定めることがまず必要なことです。誰しも心の奥底で、よりよく生きたいと願わない者はいません。よりよく生きたいと願う、その内部の声に素直に耳を傾けること、それが自分づくりの出発点です。しかし、よりよく生きたいと願う自分に素直になることは、思いのほかに難しい。青春という、ある意味では空転する季節の中で、時には自分を見失い、投げやりになったり、自分をひどく粗末に扱ったりしてしまうこともあるかもしれません。人間として誠実に生き抜こうとする時、人はそれに見合った強さを身につけなければならないのです。また、内省や思索ということだけで、自己模倣からの脱皮や自己変革がなされることはありません。日々、確かな自画像を描き出していこうとする強い決意と地道な努力によってしか、新たな自分を獲得することはできないのです。日々の生活の具体的な営みのひとつひとつの中でこそ、自己模倣からの脱皮という冒険が企てられ、果たされなければならないのです。
高校に入学した今この時が、自分自身の人生を自ら創造していく起点であり、自立した自分づくりの出発点であるということをしっかりと胸に刻んでほしいと思います。

また北海高校には、建学以来の基本精神を表すものとして大切にしている「質実剛健」「百折不撓」という言葉があります。この春の卒業生とその保護者の皆さんが、卒業記念に寄贈してくれた書が皆さんから見て左手に掲げられております。「質実剛健」はうわべを飾ることがなくて誠実であり、心身ともに強くたくましいという意味です。「質実」であることは信頼される人間であるための基礎であり、「剛健」であることは自分らしく生きるために不可欠なことです。また「百折不撓」は何度失敗しても挫折してもくじけないという意味です。北海生の誇りは失敗しないことや挫折しないことではなく、失敗しても挫折してもそれにくじけないことにあります。新入生の皆さんには、自分らしくよりよく生きていくためにこそ、「質実剛健・百折不撓」の精神を自らの中に根付かせてほしいと願います。

北海高校での三年間の中には、自分づくりの契機となるもの、糧となるものが数多くあるはずです。ぜひ積極的な姿勢で高校生活に臨み、確かな自分といえるものを創り上げてほしいと思います。そのために、私たち教職員も精一杯、皆さんをサポートし、この三年間、皆さんと共に歩みたいと思いを新たにしております。

 最後となりましたが、保護者の皆様にはお子様の教育を本校に託していただき、心よりお礼を申し上げます。ご期待にそえるよう教職員一同力を尽くして日々の教育に取り組んで生きたいと思っております。

今日から始まる北海高校での三年間の生活が、新入生の皆さんの人間的成長にとって大きな糧となり、人生の確かな土台となることを心から願い、以上式辞といたします。


平成二十六年四月九日
北海高等学校校長  山 崎 省 一DSC_0149.JPG