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札幌市にある北海高等学校から
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「校長先生から」カテゴリの記事一覧

全校集会が行われました

2014年07月25日校長先生から

夏休みに入るにあたり、本日全校集会が行われました。集会では、校長先生から夏休み中をどのように過ごすかについて、アドバイスがありました。校長先生の話は以下の通りです。


全校集会での話 (2014・7・25)

いよいよ明日から夏休みに入ります。今年の夏休みは2号館(第一職員室や事務室、物理・生物教室、芸術教室がある校舎)の耐震工事や体育館ステージの改修工事、1号館トイレの改修工事などかなり大がかりな工事が行われます。生徒の皆さんにも何かと不便をかけることになりますが、よろしくお願いします。
 夏休みはある程度まとまった自由な時間をもてる時期だと思います。それぞれの時間管理の力が問われることにもなります。時間を上手に活用して、充実した夏休みを過ごしてください。

もと大リーガーの松井秀喜さんがかつてこんなことを語っていました。
「失敗と上手につき合っていくためには『どうにもならないこと』ではなく『いま自分にできること』に集中するしかありません。」
 松井さんは現役時代、怪我やスランプなど、多くの困難を抱えながら頑張りぬいた方です。実体験に基づいた説得力のあることばだと思います。
 
一方、今も現役で活躍するイチロー選手は、こんなふうに言っています。
「自分にコントロールできることとできないことを分ける。自分で制御できないことに関心をもたないことです。」
 「自分にできないこと」は「どうにもならないこと」ですから、結局、松井さんと全く同じことを言っているわけです。
 
野球界の頂点を極めたふたりが、異口同音に、自分にできることに専念することの重要性を強調しているのは大変興味深いことです。

 普段あまり意識しないことですが、私たちの人生で本当に思い通りになるものは自分自身しかありません。私たちはとかく環境だとか他の人のせいにして不平不満をもつことが少なくないけれども、しかし環境も他人も自分の思い通りに変えられるものではありません。自分の意思で変えられないもののために悩むのではなく、自分の意思で変えられるもの、すなわち自分自身をコントロールすることに専念すべきであるという考え方には、人生全般に通じる深い知恵があります。

 自分にコントロールできることとできないことをしっかり分けて考える。自分にコントロールできることはなにかを考え、いま自分にできることに全力で取り組む。そういうあり方を日々の生活の中で実践したいものだと思います。
 
徒に「どうにもならないこと」で悩んだり振り回されたりするのではなく、「いま自分にできることに集中する」、「自分自身をコントロールすることに専念する」、そんなあり方を若いうちから身につけられたらどんなに素晴らしいだろうかと思います。

 明日から始まる夏休みは、「いま自分にできることに集中する」「自分自身をコントロールすることに専念する」、そういうあり方をトレーニングするためのよい時期ではないかと思います。どうぞ、よい夏休みを過ごしてください。

以上で、私の話を終わります。

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開校記念日(創立129周年)の全校集会のお話

2014年05月17日校長先生から

(2014.5.15)

北海高校は明日開校記念日を迎えます。北海高校の起源は1885年(明治18年)創立の北海英語学校です。北海英語学校は3月15日に140余名の生徒を迎えて開校式を行ったという記録があります。北海英語学校は1901年(明治34年)、道庁認可、3年制の中学部を創設します。いわば正式な中等教育機関として認められたわけで、この中学部の入学式が5月16日でした。159名の生徒を迎えて行われたそうです。北海高校の開校記念日は、北海英語学校中学部の入学式に因んでいるわけです。この中学部が、1905年(明治38年)に戦前の北海道で唯一の私立中学校であった北海中学校となり、1948年(昭和23年)に現在の北海高校となりました。
北海高校は明日の開校記念日で129周年を迎えます。同時に130年の歴史に歩みを進めることになります。

北海高校の歴史は、明治、大正、昭和、そして平成とそれぞれの時代を生きた若者の青春の軌跡に他なりません。そして、いつの時代も青春はそれぞれの時代がどんな時代であったかによってそのありようが大きな影響を受けるものです。

札幌農学校への進学をめざした北海英語学校の時代は、北海道の開拓の時代であったばかりでなく、近代という時代そのものを切り拓く時代でした。昨年も話をしましたが、北海英語学校は英語の文法やリーダーを学ぶだけではなく、数学、地理、歴史、理学なども英語の原書を使って学ぶ学校であり、新しい時代を切り拓いていこうというフロンティアスピリットをもった学校であったと思います。向学心に燃えた明治の若者たちのことを思うと、大きな励ましを受けるような気がします。

哀しい青春の時代もありました。戦争の時代の青春です。戦時下においては学校も戦争の大きな影響を受けました。たとえば太平洋戦争末期、戦局が日本に不利となっていた1944年(昭和19年)には、北海中学校の校舎は軍隊の兵舎として借り上げられ、北海生は隣の札幌商業で授業を受けなければならなくなったりしました。また勤労動員といって、当時の中学生はかなり長期にわたって土木作業や農作業に従事しなければならず、中には重労働のため病気となって亡くなった生徒もいました。学生でありながら、授業を受けることができない時代もあったわけです。

昨年の暮れ、東京の法政大学から「学び舎から戦場へ―学徒出陣70年法政大学の取り組み―」という企画の展示会を開くにあたって、本校が所蔵している資料を貸し出してほしいという依頼がありました。その資料とは本校の卒業生である坪谷幸一さんの遺書です。

坪谷さんは、昭和16年3月に北海中学校を卒業しています。中学36期生です。坪谷さんは大正9年に札幌で生まれ、小学校を卒業した後は、札幌鉱山監督局の給仕として働く一方、向学心が旺盛で札幌夜間中学(現在の札幌西高校定時制)に入学しています。そして、職場の軟式野球部に入部したことが、坪谷さんの人生の転機となりました。坪谷さんは180cmの長身から投げ下ろす速球と抜群の制球力でピッチャーとして、その素質を認められるようになったのです。昭和13年、坪谷さんは、当時北海中学の名監督として知られた飛沢栄三先生に勧誘されて北海中学の3年生に編入学し(旧制中学は5年制)、野球部のエースピッチャーとなります。昭和14年には全国中等学校優勝野球大会(現在の高校野球大会)で全道決勝に進出しますが、札幌一中(現在の札幌南高)に1−2で惜敗します。しかし、翌昭和15年に同じく決勝で札幌一中と対戦し、今度は4−1で勝って甲子園出場を果たしました。甲子園では山陰地方代表の松江商業と対戦し、延長14回に及ぶ熱戦の末、2−3で惜敗します。坪谷さんは北海中学卒業後、法政大学に進学して野球を続けます。しかし、間もなく坪谷さんは戦争の時代に巻き込まれていきます。学徒出陣しなければならなくなったのです。

学徒出陣とは、第二次世界大戦末期の1943年(昭和18年)以降、戦局の悪化に伴う兵力不足を補うために、それまで大学生に認められていた徴兵猶予を停止し、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系の学生を在学途中で徴兵し出征させたことです。(理系の学生は兵器開発など戦争継続に不可欠として徴兵猶予が継続されました。)翌年1944年には徴兵年齢が20歳から19歳に引き下げられています。学徒兵の総数は13万人に及んだといわれていますが、正確な数は未だ明らかになっていません。

1943年(昭和18年)10月21日に東京の明治神宮外苑競技場で「出陣学徒壮行会」が行われました。強い秋雨の降る中、行進した学徒兵のその中に坪谷さんもいたはずです。坪谷さんはその後、海軍少尉となり神風特攻隊の隊員となります。さきほど坪谷さんの遺書と言いましたが、それは特攻隊として出撃する前に、坪谷さんが恩師の飛沢先生に出した手紙のことです。これがその手紙です。一部を読んでみます。

「中学時代以来、今日に至る迄、深き慈みをうけし海山のご高恩、誠に感謝の言葉も御座居ません。
この世では何に一つ御恩返しらしきことも致さず、このまま御別れせねばならない事は何により心苦しく申訳なく思ひます。私が見事敵艦を刺し違へたと御聞きになりましたならば、之がせめてその御恩返しと何卒褒めてやって下さいませ。
先生も御承知の如く、私達の出撃は再び帰ることのなき出撃で有ります。」

坪谷さんから恩師である飛沢先生への感謝とお別れの手紙、まさに「遺書」です。
坪谷さんは1945年5月11日、鹿児島の第二国分基地から神風特攻隊として沖縄に飛び立ちました。しかし、突如として飛来した爆撃機と空中衝突し、帰らぬ人となってしまいました。坪谷さんはそのときまだ24歳だったと思います。北海高校は毎年、沖縄に修学旅行に行っていますが、その沖縄を守ろうとして飛び立って行った先輩がいたわけです。平和な時代であれば、坪谷さんは好きな野球に打ち込みどれほど活躍しただろうかと思われてなりません。

『北海百年史』には、「1940年に甲子園に出場した野球部レギュラー九人のうち、投手の坪谷幸一をはじめ四人が戦死、もしくは戦病死で亡くなっている。」と記されています。若い命とそこに託された豊かな可能性が永遠に断ち切られてしまう、そんなことが珍しくない悲惨な時代だったのです。

 あたりまえと思っていることも時代が違えばそうではありません。歴史を学ぶことのひとつの意味がそこにあります。また東日本大震災のような大きな災害によっても、私たちはあたりまえと思っていた日常が一瞬にして崩壊してしまうことを知りました。日々起こっている事故や病気も、無論私たちと無縁ではありません。

現在、私たちはあたりまえのように学校に通い、学び、さまざまな活動に打ち込むことができます。しかし、何かひとつ歯車が狂えばあたりまえではなくなってしまいます。あたりまえと思っていることの中にあるありがたさを見つめ直し、そのありがたさを十分活かせるよう思いを新たにしてほしいと思います。
開校記念日にあたっての私の話は以上で終わります。
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平成26年度 入学式 式辞

2014年04月09日校長先生から

入学式・式辞(2014・4・9)

式辞 ことのほか厳しかった冬が去り、札幌の街にも、ようやく春の訪れが感じられるようになりました。本日この佳き日に、学校法人北海学園理事長、また北海商科大学学長でいらっしゃる森本正夫先生をはじめ、北海学園大学学長・木村和範先生、北海学園札幌高等学校校長・大西修夫(のぶお)先生、そして北海学園理事・役員の皆様、校友会、PTA、旧職員など関係各位のご臨席を賜り、また多数の保護者の皆様の見守る中、ここに北海高等学校・平成二十六年度の入学式を挙行できますことは、私たち教職員にとりましてこの上もない慶びとするところであります。

430名の新入生の皆さん、入学おめでとう。私たち教職員、そして皆さんの先輩となる2年生・3年生も皆さんの入学を心より歓迎しております。北海高校は、1885年(明治18年)の創立以来、今日まで129年の歴史を刻み、道内有数の伝統をもつ学校です。明治、大正、昭和、そして平成と、それぞれの時代の中に刻印された青春の軌跡こそ、北海高校の歴史に他なりません。今また北海高校の歴史に新たな青春の1ページを加えることを心から嬉しく思います。とりわけ今年度の入学生からは、特進・進学両コースともカリキュラムを刷新し、特進コースにSクラスを新設するなど、教育内容を質・量の両面でグレードアップさせるべく、指導体制の強化に努めてまいりました。私たち教職員も、よりいっそう充実した教育を展開できるよう新たな決意をもって今日の日を迎えております。

人間教育をベースとしながら文武両道の実現をめざしてきた北海高校の教育的伝統は、生徒がそれぞれの個性を認め合い、励ましあいながら切磋琢磨するという校風を生みだしてきました。新入生の皆さんも、この北海高校を青春の舞台として、自分を磨き、輝かせ、そして互いに励まし合い、助け合いながら、自立した立派な若者として成長するよう心から願っております。

さて、ニーチェという哲学者の言葉に「脱皮できない蛇は滅びる」という言葉があります。「脱皮」はみなさんご存知のように、昆虫や爬虫類が成長のために古くなった外皮を脱ぎ捨てることです。ニーチェは続けます。「人間もまったく同じだ。(中略)常に新しく生きていくために、わたしたちは考えを新陳代謝させていかなくてはならないのだ」と。私たち人間にとって「脱皮」とは、古い考え方や習慣から抜け出して新しい方向に進むことに他なりません。とかく人間は昨日と同じように今日を、今日と同じように明日を生きていきます。言葉を換えれば自分が自分の真似をしながら生きる、自己模倣を繰り返す存在なのです。

新入生のみなさんには、まず自己模倣からの脱皮ということを訴えたいと思います。新たな自分づくりの志をもってほしいと思うのです。高校時代は、自己を確認し、変革し、受容するというひとつづきの人間的な営みを生きる最初の時期ではないかと考えるからです。
私たちは自分の意思ではなく与えられた命として、いわば受け身のかたちでこの世に存在することを始めました。しかし、与えられた生を受け身ではなく、主体的に自分の生として引き受けること、考えてみれば、そのつじつまの合わない難解な転換と変革をどのように成し遂げていくか、そこに高校時代の最大のテーマがあるように思います。

みなさんもこれまでの人生の歩みの中で、それぞれに自分の生きるスタイルやポーズを身に付け、もしかすると頑なな自分の殻を身にまとっているかもしれません。新入生のみなさんには、中学時代までの自分から脱皮しようとする強い決意をもって、高校生活のスタートを切ってほしいと思います。新しい学校、新しいクラス、新しい友人、さまざまな出会いに満ちたこの時期は、何よりも新しい自分を発見し、生み出してゆくべき時機なのです。

自己模倣から脱皮し、自分を変革していくことは、無論、容易なことではありません。現実の自分のありようを直視せずに、はかない夢や空想に浸っていたり、あるいは安易に自分を見限って、あきらめや怠惰に流されたりしてはいないか、自らに問いかけてみなければなりません。等身大の自分をしっかりと見定めることがまず必要なことです。誰しも心の奥底で、よりよく生きたいと願わない者はいません。よりよく生きたいと願う、その内部の声に素直に耳を傾けること、それが自分づくりの出発点です。しかし、よりよく生きたいと願う自分に素直になることは、思いのほかに難しい。青春という、ある意味では空転する季節の中で、時には自分を見失い、投げやりになったり、自分をひどく粗末に扱ったりしてしまうこともあるかもしれません。人間として誠実に生き抜こうとする時、人はそれに見合った強さを身につけなければならないのです。また、内省や思索ということだけで、自己模倣からの脱皮や自己変革がなされることはありません。日々、確かな自画像を描き出していこうとする強い決意と地道な努力によってしか、新たな自分を獲得することはできないのです。日々の生活の具体的な営みのひとつひとつの中でこそ、自己模倣からの脱皮という冒険が企てられ、果たされなければならないのです。
高校に入学した今この時が、自分自身の人生を自ら創造していく起点であり、自立した自分づくりの出発点であるということをしっかりと胸に刻んでほしいと思います。

また北海高校には、建学以来の基本精神を表すものとして大切にしている「質実剛健」「百折不撓」という言葉があります。この春の卒業生とその保護者の皆さんが、卒業記念に寄贈してくれた書が皆さんから見て左手に掲げられております。「質実剛健」はうわべを飾ることがなくて誠実であり、心身ともに強くたくましいという意味です。「質実」であることは信頼される人間であるための基礎であり、「剛健」であることは自分らしく生きるために不可欠なことです。また「百折不撓」は何度失敗しても挫折してもくじけないという意味です。北海生の誇りは失敗しないことや挫折しないことではなく、失敗しても挫折してもそれにくじけないことにあります。新入生の皆さんには、自分らしくよりよく生きていくためにこそ、「質実剛健・百折不撓」の精神を自らの中に根付かせてほしいと願います。

北海高校での三年間の中には、自分づくりの契機となるもの、糧となるものが数多くあるはずです。ぜひ積極的な姿勢で高校生活に臨み、確かな自分といえるものを創り上げてほしいと思います。そのために、私たち教職員も精一杯、皆さんをサポートし、この三年間、皆さんと共に歩みたいと思いを新たにしております。

 最後となりましたが、保護者の皆様にはお子様の教育を本校に託していただき、心よりお礼を申し上げます。ご期待にそえるよう教職員一同力を尽くして日々の教育に取り組んで生きたいと思っております。

今日から始まる北海高校での三年間の生活が、新入生の皆さんの人間的成長にとって大きな糧となり、人生の確かな土台となることを心から願い、以上式辞といたします。


平成二十六年四月九日
北海高等学校校長  山 崎 省 一DSC_0149.JPG


平成26年度 始業式での校長先生のお話

2014年04月08日校長先生から

ことのほか厳しかった冬が去り、札幌の街にもようやく春が訪れました。
さて、今日からいよいよ新学期が始まりました。君たちも心新たに今日の日を迎えたことと思います。春は希望の季節です。また新しい出会いの季節でもあります。君たちひとりひとりにとって、新学期が新たな希望と出会いの中で、よりよい自分を創りだすよい機会となることを願います。
新しい年度を迎えて、今日は習慣について話をしたいと思います。習慣とはいつもそうすることがその人の決まりになっていることです。「習慣は第二の天性」というよく知られた格言があります。中国の「書経」という古典にも「習いは性となる」(習慣がつくと、ついにはそれが生まれつきの天性と同じになる)ということばが出てきます。どんな習慣を身につけるかということはわれわれの人生にとって決定的に重要だということをあらためて考えてもらいたいと思います。
スイスの哲学者アミエル(1821〜1881)が30年間にわたって書き続けた日記の中に、こんなことを書き記しています。
「人生の行為において習慣は主義以上の価値を持っている。何となれば習慣は生きた主義であり、肉体となり本能となった主義だからである。誰でもが主義を改造するのは何でもないことである。それは書名を変えるほどのことに過ぎぬ。新しい習慣を学ぶことが万事である。それは生活の核心に到達するゆえんである。生活とは習慣の織物に他ならない」(「アミエルの日記」)
アミエルのこの言葉は、習慣のもつ人間的意味についてのすぐれた考察です。
確かに、われわれの生活は習慣の織物、習慣によって形作られているものです。どんな習慣を身につけて、生活を作り上げているか、習慣は無意識にまでなってしまった思考や行動のパターンですから、普段はほとんど意識しませんが、人生の核心といってもよいことです。イギリスの詩人ジョン・ドライデンも「最初は人が習慣をつくり、それから習慣が人をつくる」と言っています。また、アメリカの著名な経営コンサルタントのブライアン・トレーシーによれば、「人が考え、感じ、行動し、成就する事柄の95パーセントは習慣によるものである」といいます。
人間は習慣によって育成され、人生は繰り返される習慣の結果として形作られる。最初は大変かもしれないが、まずよりよい習慣を身につけるように頑張ることが大切です。ある習慣を身につけるためには100日間程度の時間が必要だということです。新しい年度を迎え、自分の向上のためにどんな新しい習慣を身につけるか、新しい自分を創りあげるかそれぞれに考えてほしいと思います。
以上で年度の初めにあたっての私の話を終わります。 

終了式 学校長からのお話

2014年03月25日校長先生から

みなさん、おはようございます。今年度も今日で修了ということになります。それぞれにこの1年間を振り返り、自分のあり方をきちんと総括して、新年度につなげてほしいと思います。2年生にとって新年度はいよいよ進路決定の時期になります。残されている時間はさほどありませんので、しっかり気持を引き締めて春を迎えてほしいと思います。また1年生は春からは2年生という中堅の学年になるわけですが、それぞれが自覚を新たにして自分を向上させるために今何をしなければならないか、真剣に考えてほしいと思います。

さて、卒業式に参列した2年生は既に知っていることですが、今年度の卒業生と保護者のみなさんが、卒業記念品として校訓である「質実剛健・百折不撓」を立派な書にして学校に寄贈してくれました。みなさんから見て正面左上に掲げられています。書道の土井先生に書いていただいたものですが、力強くてしかも伸びやかな大変立派な作品で、これから末永く北海生の心の支えとなり励ましとなってくれるものと信じております。

今日はそれにちなんで校訓であるふたつの言葉について話をしたいと思います。校訓、訓というのは教えのことです。北海は「質実剛健・百折不撓」というこの二つの言葉を、学校の教え、教育の基本的な精神としているわけです。

まず「質実剛健」について。「質実」というのは飾り気がなくて、誠実であることをいいます。「剛健」は強くてたくましいという意味です。「飾り気がなくて誠実であり、強くてたくましい」、これが「質実剛健」です。反対の意味をもつ熟語としては「巧言令色」などが思い浮かびます。口先だけうまいことを言ったり、ニコニコしてみせたりすることです。「質実剛健」というのは古めかしい言葉ですが、「質実」つまり飾り気がなくて誠実であることは、信頼を得る最も大きな要素であると思います。論語の中でも信頼がなければ世の中を渡っていくことはできないと述べられています。周囲から信頼される人間であるためには「質実」であることが、自分らしく生き抜いていくためには「剛健」であることが必要です。みなさんには「質実剛健」を生き方の基本として、身につけてほしいと思います。

もうひとつ「百折不撓」。中国の古い時代の碑文(石碑に刻まれた文章)の中にでてくる言葉です。岐阜県を代表する名門校である岐阜高校もこの言葉を校訓としているそうです。「百折」の「折」はくじけること、挫折すること、「不撓」の「撓」は本来はたわむ(曲がる、しなる)という意味、比喩的に屈服する、たじろぐという意味です。ですから、「百折不撓」で、何度失敗してもくじけない、何度失敗しても志を曲げないという意味になります。この言葉がなぜ北海の教育を語る上で欠かすことのできないものとなったのか。実は学校の公的な記録を見ても定かではありません。
この言葉は、かつて日本の軍隊などで使われていたようで、たとえば陸軍の「歩兵操典」といったマニュアルの中にも「百折不撓の勇気を現し」などと出てくるそうです。もしかすると旧制中学時代の軍事教練の中で使われた言葉が、北海生の中に定着していったのかもしれません。その可能性はきわめて高いと思います。
第8代の校長・幸村欣司先生は「百折不撓」についてこんなふうに述べておられます。

「百折不撓の精神が仮に教練の場で教えられたことであったとしても、学校の側から建学の精神として打ち出されたスローガンではなく、生徒の北海での生活から生み出されてきたものというべきだろう。『不撓不屈』ではなく『百折不撓』と『百折』のついているところに、また『雪辱』などというむき出しの直接的表現でないところに、先輩たちの胸の奥に流れる涙を感じ取ることができないだろうか。(中略)例えていうなら手負いの獅子の誇りが、この『百折不撓』という言葉の中に込められている」(昭和51年『北海』)

旧制の北海中学は、戦前の北海道では唯一の私立中学でした。旧制中学というのは5年制で、今の中学校と高校を併せたような学校です。男子しか入学することはできませんでした。女子には高等女学校という学校がありました。いずれにしても、戦前、義務教育は小学校までだったので、中学や高等女学校に進学できるのはごくわずかの恵まれた人々だけだったのです。
札幌に中学は三校しかありませんでした。北海中学に入学する生徒の中には、公立の中学校、たとえば札幌一中(現在の札幌南高)、札幌二中(現在の札幌西高)などの受験に失敗した者も少なくありませんでした。当時の公立の中学は体に障害をもつ生徒の入学も認めなかったけれども、北海中学はそういう生徒も受け入れました。また何らかの理由で他の中学校をやめざるを得なかった生徒も受け入れました。北海中学では入学のときから挫折を背負っていた生徒が少なくなかったわけです。そんな北海生が「百折不撓」を自分たちを支える励ましの言葉として選び取り大切に磨き上げていったのではないか、そんなふうに私も考えます。北海の歴史は「百折不撓」の歴史といえます。失敗しない、挫折しないことが誇りなのではなく、失敗しても挫折してもそれに挫けないことこそが北海生の誇りなのです。
 「質実剛健・百折不撓」という言葉を、ぜひ自分の生き方の中にしっかりと根付かせてほしいと願います。
 明日から春休みです。短い期間ではありますが、次のステップを見据えて、充実した日々としてください。以上で話を終わります。

第66回卒業式 学校長式辞

2014年03月03日校長先生から

式辞 春も間近な本日、この佳き日に、学校法人北海学園理事長、また北海商科大学学長でいらっしゃる森本正夫先生をはじめ、北海学園大学学長・木村和範先生、北海学園札幌高等学校校長・大久保正先生、そして北海学園理事・役員の皆様、校友会、PTA、旧職員など関係各位のご臨席を賜わり、また多数の保護者の皆様の見守る中、ここに北海高等学校・第66回卒業証書授与式を挙行できますことは、私たち教職員にとりましてこの上もない慶びとするところであります。北海高校の教育を支えてくださっている皆様に、あらためて心より厚く御礼申し上げます。
 
345名の卒業生のみなさん、卒業おめでとう。卒業の時を迎えた今、みなさんの胸にはさまざまな思いが去来していることと思います。楽しかったこと、嬉しかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、本当にいろいろなことがあったことと思います。私たち教職員も、この3年間のさまざまな場面でのみなさんの表情を思い起こし、深い感慨をもって今日という日を迎えております。

かつて北海高校に伊藤正造という先生がいらっしゃいました。北海高校第5代の校長を務められた方です。伊藤先生は昭和10年に旧制北海中学校にお勤めになり、国語・漢文・修身を担当され、昭和46年校長在任中にお亡くなりになられました。大変、温厚な先生であったと聞いております。伊藤先生は岩手県の稗貫農学校(現在の花巻農業高校)で学ばれ、大正13年3月に第3回生として卒業されていますが、その学校に教師として勤めていたのが宮沢賢治でした。昨年発行された生徒会機関誌「北海」第46号の前図書館司書・水野先生がお寄せになった文章に、宮沢賢治と伊藤先生が写った卒業写真が添えられています。

もうすぐ3月11日がやってきます。あの東日本大震災から早くも3年が経とうとしています。東日本大震災の後、宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」が国内はもとよりアメリカ、イギリスなど海外の追悼行事でも朗読されて話題となったことは皆さんも知っていることと思います。宮沢賢治の時代にも、東北地方では何度も大きな地震が起こり多くの犠牲者が出ました。また、当時は後に「昭和東北大飢饉」と呼ばれほど、飢饉が度々発生した時代でした。飢饉とは、冷害などによって作物がとれず、食べるものが不足することです。宮沢賢治は東北の悲惨と向き合うように生きたのです。「雨ニモマケズ」の詩は、愛用の黒いトランクの中に納められていた小さな手帳に書き記されていたものであり、病床にありながら、なお人の役に立ちたいという賢治の願いの結晶であったといえます。その死後、国民的文学者となった宮沢賢治ですが、生前は詩人や童話作家として世に認められることはなく、「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「セロ弾きのゴーシュ」などの名作も、没後残された三千数百枚の原稿の束の中から見つかったものです。また賢治は凶作で困窮する農民の役に立ちたいという農業指導者としての志も遂げることができませんでした。しかし、賢治の死後に発見された「雨ニモマケズ」をはじめとする賢治の作品や言葉が、時代を超えて今日を生きる多くの人々の支えや励ましとなっている、そのことの不思議を思わずにはいられません。

私自身が折に触れて思い起こす、宮沢賢治の言葉を二つ皆さんに贈りたいと思います。
ひとつは、大正九年に親友に宛てた手紙の中に出てくる言葉です。この手紙の中で、賢治は自分が憤りや怒りを抑えきれぬ状態にあることを反省し、「まだ、まだ、こんなことではだめだ」と述べ、「しっかりやりましょう」と二十回以上も書き連ねています。そして、
手紙本文の欄外にまるでメモのように次の言葉を書き記しています。その言葉は、「かなしみはちからに、欲(ほ)りはいつくしみに、いかりは智慧にみちびかるべし」というものです。「かなしみはちからに」、「欲(ほ)りはいつくしみに」――「欲(ほ)り」というのは欲望のことです、そして「いかりは智慧に」導かれるべきだ、努めて変えていこうというのです。
 みなさんがこれから長い人生を生きていくときに、深い悲しみや抑えがたい欲望、激しい怒りにとらわれることもあるかもしれません。そんなとき「かなしみはちからに、欲りはいつくしみに、いかりは智慧にみちびかるべし」という言葉を思い出してほしいと思います。マイナスと思われる状況をプラスに受けとめる、あるいはマイナスをプラスに転化していく、その道筋の中に人生の価値や人間の尊厳が生み出されるのです。

もうひとつの言葉は、小学校教師となった農学校時代の教え子に宛てた手紙の一節です。
「風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間も話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝えるとかいうようなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです。そんなことはもう人間の当然の権利だなどというような考えでは、本気に観察した世界の実際とは余り違うものです。どうか今のご生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きていきましょう。」
これは亡くなる十日前に書かれたものです。この手紙が宮沢賢治の生涯最後の手紙となりました。病におかされ衰弱した賢治自身は、もはや風の中を自由に歩くことも、はっきりした声で話すことも、家族を支えることもできませんでした。ふだん当たり前と思っていることが、「神の業にも均しい」ほどの、いかに尊いものであることか。賢治の思いが切々と綴られています。卒業生の皆さんも、日々の生活を大切にし、当たり前と思われることの中に潜んでいる尊さを感じ取れる人間であってほしいと思います。
みなさんが生きていくこれからの時代は、これまでにもまして変化が激しく困難な課題も少なくないと思われます。みなさんには「うわのそらでなしに、しっかり落ちついて」人生の歩みを進めてほしいと思います。そして「一時の感激や興奮」に振り回されることなく、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものはそれをしっかりと受け止めて生きていってほしいと願います。
 
最後となりましたが、保護者の皆様、お子様のご卒業、本当におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。また、この三年間、北海高校の教育にご理解とご支援を賜わりましたことに、あらためて感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
 
卒業は新たな出発の節目に他なりません。卒業生のみなさん、どうぞ北海高校の卒業生であることに誇りをもって、それぞれが選んだ道をしっかりとした足取りで歩んでほしいと思います。そして、自分らしく、よりよく生きるためにこそ百折不撓であってほしいと心から願っております。
 卒業生のみなさんの前途に幸多からんことを祈念して、以上、はなむけのことばといたします。

平成二十六年三月一日
北海高等学校 校長 山崎省一

校長より全校集会でのお話(開校記念日にちなんで)

2013年05月20日校長先生から

明日5月16日は北海高校の開校記念日です。明日の開校記念日で北海高校は128周年ということになります。北海高校の歴史は128年が過ぎて、129年目の歴史を刻み始めるということになります。
開校記念日にちなんで、今日は北海高校の歴史の一端について話をします。
北海高校の起源は1885年(明治18年)に開設された北海英語学校です。この時期に創立された私立学校で今も存在している学校はきわめて少ない。同じ年に創立された私立学校としては、たとえば英吉利法律学校、現在の中央大学があります。東京や関西の有名な私学はこの前後に創設されたところが多く、北海高校、北海学園は東京や関西の有名な私立の学園に匹敵する歴史と伝統をもつ、その意味で地方の私学としては特筆すべき学園です。

北海英語学校はどんな学校だったかというと、札幌農学校予科への入学をめざした中等教育機関でした。学校の種類でいうと各種学校で、夜間に学ぶ、いわゆる夜学です。校舎は南2条西1丁目にありました。明治18年3月15日に豊平館で140名余の生徒が集まって開校式が行われました。豊平館は、現在は中島公園にありますが、当時は現在の市民ホールの所にありました。北海道開拓使直属のホテルで文明開化のシンボルとして名高い鹿鳴館より2年早い明治13年(1885年)の建築です。128年前に開校式が行われた場所がいまだに残っているのは大変嬉しいことです。

さて、北海英語学校の生徒が進学をめざした札幌農学校は現在の北海道大学です。わが国最初の農業にかかわる高等教育機関として明治9年に設置されました。札幌農学校に入るためには、相当な学力が必要だったわけですが、当時札幌の中等教育機関といえば明治16年に設置された師範学校(教員になるための学校。現在の教育大学の前身です。)しかありませんでした。ですから、地元から札幌農学校に進学することはほとんど不可能だったわけです。札幌農学校の入学者の大半は道外出身者でした。

そこで札幌農学校卒業生である大津和多里先生(札幌農学校第3回生)らが札幌農学校予科への進学をめざして作ったのが北海英語学校でした。なぜ英語学校かといえば、札幌農学校で学ぶためには英語力が必須の条件であったからです。お雇い外国人という言葉がありますが、当時の高等教育機関では外国人が教えることが多かったわけです。たとえば有名なクラーク博士のように。教えられる側も当然、英語力が必要とされたということです。それが英語学校であった理由です。しかし、北海英語学校は英語の文法やリーダーを学んだだけではありませんでした。数学、地理、歴史、理学なども英語の原書を使って授業したといいます。つまり「英語を学ぶ」のではなく「英語で学ぶ」学校だったわけで、これも英語学校だった理由といえますし、ここに北海英語学校の大きな特色をみることができます。
北海英語学校は実際、多くの地元の青年たちを札幌農学校予科に送り込み、その役割を果たしましたが、北海英語学校には単に札幌農学校への受験予備校的な役割を超えたもの、新しい時代を切り拓いていこうという理念や志の高さ、いわばフロンティアスピリットをうかがい知ることができると思います。

明治34年に北海英語学校は中学部を設置します。明治30年代に入ると日清戦争後の影響で、札幌は北海道の行政・経済の中心としての位置を確かなものとして人口も増加しましたが、当時札幌には正式な中等教育機関としては明治28年(1895年)に設立された庁立札幌中学校(現在の札幌南高校)があるだけで、入学難が起こり、私立中学校設立の要望が高まったという時代的背景がありました。北海英語学校中学部は道庁の認可を受けたものであり、公的な中等教育機関としての地位を確立したといっていいわけです。北海英語学校中学部の入学式は明治34年(1901年)5月16日に南5条東2丁目にあった豊水小学校の旧校舎で行われました。この日を北海高校、北海学園は創立記念日としているわけです。中学部の校舎は豊水小学校の校舎を引き継いだもので、大変小さくてボロであったといいます。明治34年に校長の浅羽先生が時の衆議院議長・片岡健吉と「憲政の神様」と言われた尾崎行雄を学校に案内してきたことがありました。当時の卒業生の回想によると、尾崎行雄は全生徒の前で「玉は光る、ポロの中から出たらなお光る、諸君も玉でなければならない」と演説し、生徒たちは限りなく励まされたということです。その後、北海生の間ではしばしば「玉磨かざれば光なし」という言葉が使われたようです。

その後明治38年に文部省の認可を得て、私立北海中学校が発足します。北海道で唯一の私立男子中学校です。現在地に校舎を移転したのは明治42年(1909年)のことです。校長の浅羽靖先生は学校経営のために私財を投げ打って今日の北海学園の礎を築き「北海学園の父」とも称される方です。浅羽靖先生は、「百折に撓むことのない有為の社会人たれ」と、質実剛健・百折不撓の硬派北海の伝統を創られる一方で、「生徒には欧米の国歌をまず教えること、わが国では昔から和魂漢才が唱えられているが、これからは和魂洋才でなければならない」と目を世界に向けることを説いています。浅羽先生が教頭の戸津高知先生に語った言葉です。当時の西洋文明の偉大さを認め、いわばグローバルな視点に立っていたといってよいと思います。

北海中学校となってからも英語は重視され、英語教育には力が注がれていました。北海中学にはポーリン・レーン先生という外人女性教師がいました。ポーリン先生はアメリカ人宣教師の長女として京都に生まれ、4歳の時に父親がテレビ塔の南側にある北光教会に転任することになり、札幌に移り住みました。ポーリン・レーン先生が北海中学の教壇に立ったのは大正5年(1916年)から12年(1923年)までの間です。当時、男子中学校で外人女性教師を起用するということはきわめて異例のことでしたが、北海中学校の生徒は彼女に尊敬と親愛の情をもち、ポーリン先生もまた北海中学の校風を愛したといわれています。ポーリン先生在任中の大正11年(1922年)には第1回の校内英語大会が開かれました。大正13年(1924年)には英語研究部がつくられています。ポーリン先生のご主人ハロルドさんは北海道大学の先生でした。ご夫妻は太平洋戦争の時にスパイ容疑で検挙されアメリカに強制送還されたりして大変辛い時期がありましたが、戦後は再び札幌に戻りご夫妻とも北大や学芸大学で教鞭をとられました。札幌の街並みを見下ろす円山墓地にご夫妻のお墓があります。

また北海中学では、明治40年頃から卒業式に生徒の研究発表や演説が日本語と英語で行われていたといいます。野呂栄太郎、島木健作(朝倉菊雄)といった著名な卒業生も演説しています。野呂栄太郎は「安政条約の影響」と題して演説し、島木健作はクロポトキンの「青年に訴ふ」を題材とした英語演説を行っています。このような形で卒業式を行った学校はほとんどないのではないかと思われます。
 
北海高校の伝統と言うと、硬派北海のイメージが強いけれども、その教育の中には世界に目を向けた先進的な取り組みがなされていたということがわかります。新しい時代を切り拓くフロンティアスピリットもまた北海高校の誇るべき伝統であったということ、その点を強調しておきたいと思います。

近年、学校教育における国際化の推進とか英語教育の見直しなどが大きなテーマ、大きな課題として取り上げられていますが、今から128年前、遠く明治の時代に、こういうフロンティアスピリットをもって創られたのが北海高校の前身である北海英語学校であり、それを発展的に継承したのが北海中学校でした。そのことを、私たちは今一度学びなおしてよいのではないか、そんなふうに思います。
君たちにもぜひ、英語を一生懸命学んでほしいし、英語で学べるようにもなってもらいたい、札幌農学校を前身とする北海道大学にも進学してもらいたい、そして何より日本は今困難な課題をたくさん抱えているけれども、君たち若い世代にはその困難な壁を乗り越えて新しい時代を切り拓くフロンティアスピリットをもってもらいたいと願います。
北海生のフロンティアスピリットに大いに期待をして、以上で私の話を終わります。

平成25年5月15日
北海高等学校 校長 山崎 省一

校長より対面式でのお話

2013年04月10日校長先生から

昨日、入学式が行われ、397名の諸君が新しく北海生の仲間入りをしました。今日初めて全員が顔を揃えたことになります。今年の全校生徒数は1206名、北海高校は全道で最も規模の大きな学校のひとつです。
さて、新入生のみなさん、あらためて入学おめでとうございます。そして2・3年生のみなさん、新入生をどうぞよろしくお願いします。
新入生には、早く学校生活に慣れ、勉強や課外活動に打ち込んでもらいたいと思いますし、2年生・3年生には新入生のよき相談相手、よいお手本になってほしいと思います。
北海高校は、伝統的に生徒がそれぞれの個性を認め合い、励ましあいながら切磋琢磨する学校です。そのことが、ひたむきに物事に取り組み、連帯感が強く、明朗でさわやかな校風を生みだしていると思います。そして、これからもぜひそうあってほしいと願っています。みなさん一人ひとりが学校生活の主役です。そういう自覚をしっかりもって、それぞれが、自分の理想を求めて頑張ってください。そのことが北海高校をいっそう誇りのもてる学校にしてくれると思います。ぜひ、君達自身の手で、誇りの持てる北海高校を作り上げてください。
「初心忘るべからず」という有名な言葉があります。能楽の大成者・世阿弥の言葉ですが、「初心」とは何かをやろうと思い立ったときの純真な、そして謙虚な気持をいいます。新入生の諸君は、今抱いているそれぞれの決意を大切にして、それぞれのめざすべきものに向かって精一杯頑張ってもらいたいと思います。「初心忘るべからず」は本来「純真さ、謙虚さ」を忘れるなという意味ですから、物事に馴れて高慢になったり、ぞんざいになったりすることを戒める言葉です。初心を忘れたときに堕落が始まります。2・3年生にはぜひ新学期の始まりの今この時に自分の初心を振り返ってもらいたい、そして初心を振り返ることの大切さを学んでもらいたいと思います。

平成25年4月10日
北海高等学校 校長 山崎 省一

入学式 式辞

2013年04月09日校長先生から

ことのほか厳しかった冬が去り、札幌の街にも、ようやく春の訪れが感じられるようになりました。今日のこの佳き日に、学校法人北海学園理事長、また北海商科大学学長でいらっしゃる森本正夫先生をはじめ、北海学園大学学長・木村和範先生、北海学園札幌高等学校校長・大久保正先生、そして北海学園理事・役員の皆様、校友会、PTA、旧職員など関係各位のご臨席を賜り、また多数の保護者の皆様の見守る中、ここに北海高等学校の平成二十五年度・入学式を挙行できますことは、私たち教職員にとりましてこの上もない慶びとするところであります。

397名の新入生の皆さん、入学おめでとう。私たち教職員、そして皆さんの先輩となる2年生・3年生も皆さんの入学を心より歓迎しております。北海高校は、1885年(明治18年)の創立以来、今日まで128年の歴史を刻み、道内有数の伝統をもつ学校です。3万8千人を超える卒業生は、北海高校の卒業生であることを誇りとして、社会のさまざまな方面で活躍し、本校は名実ともに北海道を代表する私立高校として、全国にその名を知られております。

北海高校の歴史は、明治、大正、昭和、そして平成と、各時代を生きた青年たちのかけがえのない青春の歴史でもあります。それぞれの時代の中に刻印された青春の軌跡こそ、北海高校の歴史に他なりません。今また北海高校の歴史に新たな青春の1ページを加えることとなります。新入生の皆さんが、この北海高校を青春の舞台として、自分を磨き、輝かせ、互いに励まし合い、助け合いながら、自立した立派な若者として成長するよう心から願っております。

さて、皆さんは今、高校生活のスタート地点に立っています。それぞれにこれから始まる高校生活への夢や希望を抱いていることでしょう。多少の不安もあるかもしれませんが、何よりも大切なことは、義務教育を終え高校に入学した今この時が、自分自身の人生を自ら創造していく起点であるということです。まずそのことをしっかりと認識してほしいと思います。高校入学とは、自立した自分づくりの出発点に他なりません。

自分とは漠然と夢見たり、あてどなく探し回るものではありません。青春期はしばしば「本当の自分」の幻影をめぐる空転の季節となってしまいがちですが、自分とは、日々の生活と経験の中から、あるいは他者や世界との関わりの中から少しずつ創り出していくものです。北海高校での三年間の中には、自分づくりの契機となるもの、糧となるものが数多くあるはずです。ぜひ積極的な姿勢で高校生活に臨み、確かな自分といえるものを創り上げてほしいと思います。そのために、私たち教職員も力を尽くして皆さんをサポートし、この三年間、皆さんと共に歩みたいと思いを新たにしております。

さて、北海高校は星のマークを校章としております。星を校章とする学校はいくつもありますが、北海高校の場合は、論語為政篇に「政(まつりごと)を為すに徳を以ってすれば、譬(たと)へば北辰の其の所に居て衆星の之に共(むか)ふが如し」とあることに由来しております。これは論語の中で理想的な政治、いわゆる徳治政治、王道政治のあり方を述べたものであり、徳、人徳をもって治めれば人々が心から従うようになるということを、北辰すなわち北極星がその位置に定まり、その他の星がそれを尊びつつ共に動くことにたとえたものです。北辰すなわち北極星は、いわば気高い人間性の象徴といってよく、北海高校はその北極星を校章としているわけです。かつて北海生が歌った激励歌の中にも「衆星むかう北辰は 我が北海のしるしなり」という一節があります。星のマークは、北海高校のめざす教育と、北海生の誇りを象徴するものでありました。そして星のマークの校章に託された理念、人間教育を尊重する伝統は今も脈々と北海高校に受け継がれております。

北海高校は、皆さんに何よりも人間として成長してほしいと願っている学校です。勉強だけ出来ればそれでよいということではない、スポーツで活躍すればそれでよいということでもない。日々の勉強や部活動、生徒会活動、あるいは学校行事などさまざまな営みを通して、人間らしい心と頭と体をきちんと育んでもらいたいと思っています。皆さんが、星のマークを心に刻み、未来を切り拓く人間的な力を備えた若者に成長してほしいというのが北海高校の願いです。

また北海高校には、建学以来の基本精神を表す「百折不撓」という言葉があります。どんな困難に出会ってもくじけない強い精神のありようを示す言葉です。北海高校の卒業生に和田芳恵さんという文学者がおります。芳恵といっても女性ではなく男性です。大正14年に北海高校の前身である北海中学校を卒業しました。近代を代表する女流作家である樋口一葉の研究家として確固たる位置を占めるとともに、小説家としても活躍し「短編小説の名手」と称されました。和田さんは日本芸術院賞、直木賞、読売文学賞、日本文学大賞など数々の文学賞を受賞したすぐれた文学者です。その和田さんが昭和45年5月に母校であるこの北海高校を訪れて講演し、その折に書いていただいた色紙が本校の図書館に飾られております。そこには「歩いたところから道になる」という言葉が書き記されています。

和田さんの人生の道のりは決して楽なものではなく、むしろ非常に苦難に満ちたものでした。北海中学に在籍した当時も、破産して困窮する一家を支えるために代用教員として働かざるをえず、授業も受けられないという過酷な状況にありました。そんな和田さんを担任やクラスメイトが支えて勉強の手助けをし、教頭が育英資金を出してくれる資産家を探し出してくれたりしたのでした。和田さんは後にその作品の中で、「私は思わぬことがはじまっているので、どうしたらいいかわからない戸惑いを感じた。あまりにも北海中学が、貧しい生徒に親切すぎる思われた」と記しています。さまざまな困難や不利な条件を抱えた生徒たちをも受け入れ、支え抜き、その可能性を信じ続けたことは、北海の教育精神の強さと確かさの証しであったと思います。和田さんの文学との出会いも北海中学時代のことでした。北海中学は和田さんの人生の原点であったと言っても過言ではありません。

社会に出た後も、和田さんの人生は経済的困窮や病気など、決して恵まれたものではありませんでした。けれども和田さんは自分の道を歩き続けることで、かけがえのない立派な人生を創り上げていきました。和田さんが長い不遇な時代を経て、数々の円熟した作品を発表し、世に認められ高い評価を得たのは、晩年になってからのことです。直木賞を受賞したのは58歳の時であり、「最も遅れてきた作家」と称されたこともありました。著名な小説家である吉行淳之介は、和田さんを評して「和田芳恵氏の晩年は、文学の世界で起こった奇跡のようにみえる」が、「やはり長年の蓄積の上に咲いた花である」と述べています。和田さんは、度重なる不遇にも屈せず、暗く長い道を一歩一歩歩き続けることで、文学という自らの世界を切り拓き、その晩年に見事な大輪の花を咲かせたのです。和田さんの人生こそは「百折不撓」の人生そのものであったと思います。

とにかく、歩き始め、歩き続けなければ、自分の道は拓かれない。時に、つまずくことも、倒れることもあるかもしれません。しかし何度つまずき倒れても、その度に立ち上がり、歩き続けることが大切なのです。「歩いたところから道になる」。皆さんも、人間としての高い志、星のマークを心に刻み、この北海高校からそれぞれの人生の道の、確かな一歩を踏み出してください、本日の入学式がその記念すべきスタート地点となることを心から祈り、以上、式辞といたします。

平成25年4月9日
北海高等学校 校長 山崎 省一

校長より始業式にあたって

2013年04月08日校長先生から

ことのほか厳しかった冬が去り、札幌の街にもようやく春が訪れました。前年度で退職された北明校長先生に代わり、この春からは私が校長を務めることになりました。微力ではありますが、北海高校の教育のために力を尽くしたいと思いをあらたにしております。どうぞよろしくお願いします。また、新しく教頭には野田郁夫先生が就任しましたので併せてよろしくお願いします。

さて、今日からいよいよ新学期が始まりました。君たちも心新たに今日の日を迎えたことと思います。春は希望の季節であり、新しい出会いの季節です。君たちひとりひとりにとって、新学期が新たな希望と出会いの中で、よりよい自分を創りだすよい機会となることを願います。

少し漢字の話をします。新学期の「新」、新しいという漢字を思い浮かべてみてください。新しいという漢字は偏の部分が辛い(もともとは鋭い刃物を描いた象形文字、努力という意味がある)という字と、木が合成されたもの。旁(つくり)の部分はおのづくりといいますが、キンと音読みします。パンを一斤と数えたりしますね。この字(斤)は、大きなおの、まさかりのことですが、二つ重ねて「斤斤」で、いつくしむという意味があります。「新しい」という字はこの三つの要素の組合せでできた漢字です。ですから、「新しい」という漢字には、木をいつくしみ育て、それを努力して加工し、新たなものにして活用するという意味が込められているわけです。新しいというと、何か目先の変わっためずらしものというニュアンスがありますが、本当に新しくするのにはそれなりの準備と努力が必要だということです。
 
「大学」という中国の書物に「まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり」という言葉が記されています。今日の行いは昨日よりも新しくよくなり、明日の行いは今日よりも新しくよくなるように心がけようという意味です。殷王朝を創設した湯王という王様は、この言葉を盤(洗面のための器)に彫りつけて毎日自分を戒める言葉にし、大変立派な政治を行ったと言われています。本当に新しくあろうとすることは、なかなか大変なことだということを物語るエピソードです。
 
自分を変革し新しい自分を創り上げて行こうとする時に、最も必要なものは何か。それは勇気ではないかと思います。人は自分自身がつくりあげた「自分はこういう人間だ」という固定観念に縛られているため、新しい自分を創り上げていくことには困難が伴うものです。周囲からどんなふうに見られるかということが怖くて、変わらなければと思いながら自分を変えられないという人もいるでしょう。不安や怖れという困難な壁を乗り越えて、新しいよりよい自分を創り上げていくためには強い勇気が必要とされるのです。君たちには何よりも自分をよりよく変えていくための勇気をもってもらいたいと願っています。

新しい年度、新しい学年がスタートしましたが、どうぞ皆さんもこの春という季節を転機として、しっかりとした準備と努力を積み重ねながら、勇気をもって着実に新しい自分を作り上げていく、そんな一年にしてもらいたいと思います。

以上で年度の初めにあたっての私の話を終わります。

平成25年4月8日
北海高等学校 校長 山崎 省一