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新着情報

札幌市にある北海高等学校から
新着情報をお知らせしています。

校長講話

2018年05月15日校長先生から


 北海高校は明日開校記念日を迎え、創立133周年ということになります。


 現在、中島公園にある北海道立文学館で子母澤寛という作家の文学展が開催されています。(会期 4月20日〜6月24日)子母澤寛は本名・梅谷松太郎、石狩の厚田生まれで、事情があって父親を知らず母親とは別れ、祖父の梅谷十次郎に育てられました。祖父は幕府の御家人でしたが、彰義隊に加わった後、函館戦争にも敗れ、厚田まで逃れてきた人でした。梅谷松太郎は旧制北海中学を明治44年に卒業、明治大学で学び、読売新聞、東京日日新聞(現毎日新聞)などで活躍、その後、子母澤寛として日本を代表する時代小説家となりました。さまざまな形で新撰組が取り上げられるきっかけを作った「新撰組始末記」やNHK大河ドラマの原作ともなった「勝海舟」をはじめ、数多くの名作を残しています。映画で有名な「座頭市」も原作は子母澤寛です。子母澤寛は、ご自身の生い立ちもそうなのですが、歴史の中で日の当たらなかった人たちに光を当てた作品を多く残しています。今回の文学展ポスターのキャッチコピーには、「負けてなお屈せぬ男たちがいる!」とあり、どこか北海のスピリットとつながるものを感じます。子母澤寛の文学的出発点は、北海中学の「協学会誌」という雑誌です。子母澤寛は在学中、この雑誌に詩、俳句、論説などさまざまな作品を発表しています。現在開催中の文学展にその「協学会誌」を貸し出しています。みなさんもぜひ文学展に足を運んで大先輩の業績を見てほしいと思います。


北海は、子母澤寛をはじめ、北海道出身者として最初の芥川賞作家となった寒川光太郎、直木賞作家の和田芳惠など多くの文学者を生み出してきましたが、今日は島木健作という作家の話をしたいと思います。何年か前に、生徒会誌にも書いた話です。


十数年ほど前のこと、道南にある妻の実家が転居することになりました。明治の末に建てられたという旧居は、いわばタイムカプセルのようなものであり、家の中を整理すると歴史的遺物?が沢山出てきました。その中に二冊の本がありました。『生活の探求』正続の二冊です。正編が昭和十二年(一九三七)十月、続編が昭和十三年六月に刊行されています。妻の実家にあったものは、奥付を見ると正編が112刷、続編が75刷となっていました。『生活の探求』は、当時の大ベストセラー小説だったのです。


著者の島木健作は、北海高校の前身・北海中学を大正12年(1923年)に卒業しています。本名は朝倉菊雄、北海中学の同級生には、後に北海野球部の監督を長く務め、「北海道高校野球の父」と称された飛沢栄三先生や教育界で活躍した横田庄八先生(拉致被害者横田めぐみさんの祖父)がいます。


島木は北海中学についてこんなふうに書き遺しています。北海の先輩・野呂栄太郎について書いた文章(「野呂栄太郎氏」)の中の一節です。


 「私が学んだ北海道のある都市の某中学というのは、名をいえばわかるが、非常に有名である。東京の人などは、北海道の代表的な中学であるかのように思っている。理由はスポーツに強く、ことに野球ではほとんど毎年全国大会に出て来て、その都度、新聞に名がのぼるからである。(中略)放埓なほどに自由で、絵とか文学とか音楽とかいうものは、他の中学には見られぬほどに盛であった」


島木が書き記した北海の校風は現在まで脈々と受け継がれているといえます。

島木自身、大正11年(1922年)に、文芸部を発足させ『北中文芸』を創刊して、翻訳、創作、評論と中学生とは思えぬ健筆ぶりを示しています。卒業後の島木は紆余曲折を経ながらも、自分なりの文学の道を切り拓いていきました。


『生活の探求』が刊行された昭和12年、当時の日本は軍需景気で沸き立ち、二月には東京株式市場が創業以来の取引高を記録しています。しかし七月には盧溝橋事件が起こり、日本は急速に軍国主義に傾斜していくことになります。前年には2・26事件が起こっており、「国民精神総動員」が叫ばれる、そんな時代背景の中で、『生活の探求』は多くの人々に求められ読まれたわけです。激動の時代の中で、人々が求めたものは確かな「生活」であったといえます。

 『生活の探求』は題名そのものが示すとおり、ドラマティックな内容をもつ作品ではありません。杉野駿介という青年が、東京での学生生活や都会の生活に懐疑的になり、郷里の香川県に帰って農民として生き抜こうと決意する、ただそれだけの話ですが、この作品は島木健作が時の権力によって思想的立場の転向を強いられるという、その人生と文学上の大きな挫折を経て、生み出した作品でした。真摯に「生活の探求」をめざす杉野駿介は、こんなことを語っています。


 「・・・僕はこれは実に重大なことだとおもうのです。・・・生活に対する愛を持ち得ないような人間になっているのではないかと云うおそれです。人間生活の美しさや醜さや豊かさや貧しさやに対して、喜びや悲しみや怒りや憎しみやを素直に生々と感じることの出来ないかなしい人間にです。人間としてこれは一番に大切なものです。そういう愛があってはじめて積極的な生活者になれる。生活のなかから益々そういう愛を深め、それは又逆に彼の生活を豊かな立派なものにして行く。挫折してもまた起ち上がって行く力もそこから汲みだせる。

・・・ともかくそういう、生活に対する愛と憎しみとを失った無感動な人間はふえて行っています。・・・それは一種の現代病でしょう。それの原因はおそらく複雑なものでしょう。・・・しかし僕はそういう人間にだけはなりたくはない。」


 今から約八十年前の青年が抱いた「生活に対する愛を持ち得ないような人間になっているのではないか」という「おそれ」は、現代の私たちをも深く包み込んでいるのではないでしょうか。過剰なモノに取り囲まれ、情報の氾濫に押し流されながら、あわただしく消耗し摩滅していくような日々の中で、「人間生活」の「美しさ」「豊かさ」を実感できている人は果たしてどれほどいるでしょうか。「一種の現代病」はさしたる自覚症状もないままに、より深く私たちを蝕んでいるのではないかと思います。

生活への愛の深まりが、さらに生活を豊かな立派なものにし、生きる力を生み出していく、そんな「人間生活」をどのように創り上げていけばよいのか。

杉野駿介は言います。大切なのは「簡粗な清潔な秩序ある勤労生活」、「平凡な事柄の持続的な実行」であり、「過去と未来との双方に無用に引きずり廻されることなしに、その日その日の生活を一つ一つ土台石をおくようにして積んでいくこと」であると。それを自分の生活信条としたいというのです。

状況に無自覚に押し流されたり、過去や未来に無用に引きずりまわされたり、徒に不平不満に埋没して生活を腐らせるのではなく、与えられた一日を確かなものとしていく決意と実践こそが「人間生活」を創り上げるのです。

 どうぞ皆さんも『生活の探求』に書き記されているように、生活への愛を育み、一日一日を丁寧に生きてほしいと思います。


開校記念日の話(2018・5・15)