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新着情報

札幌市にある北海高等学校から
新着情報をお知らせしています。

全校集会・開校記念日を前に(2017・5・15)

2017年05月17日校長先生から

132年前の明治18年(1885年)3月15日、現在も中島公園にある豊平館の大広間に140名余りの青年が集まり、北海高校の起源である北海英語学校の開校式が行われました。北海英語学校は、当時まだ中等教育機関がほとんどなく、学ぶ機会をもつことができなかった地元の若者を札幌農学校(現在の北海道大学)へ進学させたいという、大津和多理先生らの熱い思いによって設立されました。
大津和多理先生は、札幌農学校の3期生、1期上には内村鑑三・新渡戸稲造・宮部金吾といった著名な人々もいました。
現在開校記念日は、明日5月16日ですけれども、それは1901年(明治34年)に道庁が正式に認可した北海英語学校中学部の入学式が行われた日にちなんでいます。北海英語学校中学部は、その後1905年には文部省の認可を得て、私立北海中学校へと発展しました。戦前、義務教育は小学校まででしたので、中学校で学ぶことができたのは限られた人たちでした。旧制中学は5年制で学べるのは男子だけ、女子は高等女学校で学びました。ちなみに、公立の伝統校である札幌南高と西高校は中学、北高と東高は高等女学校でした。
北海英語学校の創立から132年、現在の北海学園は二つの大学、二つの高校を擁し、学生・生徒数は合わせて1万人を超え、北海道を代表する私学としての地位を確立しています。
さて北海高校には、建学以来の基本精神を表す「百折不撓」という言葉があります。もともと中国の古い石碑に刻まれていた言葉ですが、何度挫折しても、失敗してもくじけない、どんな困難に出会ってもくじけない、そういう強い精神のありようを示す言葉です。
この「百折不撓」という言葉を、北海生はとても大切にし、心の支えとしてきました。それは、戦前でいえば、北海中学はたとえば札幌一中(現在の札幌南高校)
や二中(現在の札幌西高校)といった公立中学の受験に失敗した生徒が少なくなかったし、また北海中学は公立中学の中退者や、身体に障害をもつているために公立の中学を受験させてもらえなかった生徒、家庭の経済状況の厳しい生徒など、さまざまなハンディをもつ人々にも広く門戸を開いていたからだと思います。北海生には挫折を経験したり、ハンディを背負った者が少なくなかった。「百折不撓」は、そんな北海生の心の拠り所、心の支えであり、同時に北海生の心を結び付け、強い愛校心を生み出す核となったのだと思います。北海の歴史は、一面で敗者復活のドラマであり、負けじ魂の精神史です。そのドラマの中から画一化されない、さまざまに個性的な多くのすぐれた人材を生み出してきたのです。
北海高校の卒業生に和田芳恵さんという文学者がおります。芳恵といっても女性ではなく男性です。長万部の出身で函館商船学校に進学しますが、中退して、1922年(大正11年)に北海中学に編入学し1925年(大正14年)に卒業しました。近代を代表する女流作家である樋口一葉の研究家として確固たる位置を占めるとともに、小説家としても活躍し「短編小説の名手」と称されました。和田さんは日本芸術院賞、直木賞、読売文学賞、日本文学大賞など数々の文学賞を受賞したすぐれた文学者です。その和田さんが1970年(昭和45年)5月に母校であるこの北海高校を訪れて講演し、その折に書いていただいた色紙が本校の図書館に飾られております。そこには「歩いたところから道になる」という言葉が書き記されています。
和田さんの人生の道のりは決して楽なものではなく、むしろ非常に苦難に満ちたものでした。北海中学に在籍した当時も、破産して困窮する一家を支えるために代用教員として働かざるをえず、授業も受けられないという過酷な状況にありました。そんな和田さんを担任やクラスメイトが支えて勉強の手助けをし、教頭が育英資金を出してくれる資産家を探し出してくれたりしたのでした。和田さんは後にその作品の中で、「私は思わぬことがはじまっているので、どうしたらいいかわからない戸惑いを感じた。あまりにも北海中学が、貧しい生徒に親切すぎると思われた」と記しています。さまざまな困難や不利な条件を抱えた生徒たちをも受け入れ、支え抜き、その可能性を信じ続けたことは、北海の教育精神の強さと確かさの証しであったと思います。和田さんの文学との出会いも北海中学時代のことでした。北海中学は和田さんの人生の原点であったと言っても過言ではありません。
社会に出た後も、和田さんの人生は経済的困窮や病気など、決して恵まれたものではありませんでした。けれども和田さんは自分の道を歩き続けることで、かけがえのない立派な人生を創り上げていきました。和田さんが長い不遇な時代を経て、数々の円熟した作品を発表し、世に認められ高い評価を得たのは、晩年になってからのことです。直木賞を受賞したのは58歳の時であり、「最も遅れてきた作家」と称されたこともありました。著名な小説家である吉行淳之介は、和田さんを評して「和田芳恵氏の晩年は、文学の世界で起こった奇跡のようにみえる」が、「やはり長年の蓄積の上に咲いた花である」と述べています。和田さんは、度重なる不遇にも屈せず、暗く長い道を一歩一歩歩き続けることで、文学という自らの世界を切り拓き、その晩年に見事な大輪の花を咲かせたのです。和田さんの人生こそは「百折不撓」の人生そのものであったと思います。
ともかくも、歩き始め、歩き続けなければ、自分の道は拓かれない。時に、つまずくことも、倒れることもあるかもしれません。しかし何度つまずき倒れても、その度に立ち上がり、歩き続けることが大切です。「歩いたところから道になる」。皆さんも、人間としての高い志、北海の星のマークを心に刻み、この北海高校からそれぞれの人生の道の、確かな一歩を踏み出してほしいと願います。