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新着情報

札幌市にある北海高等学校から
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平成27年度 卒業式式辞

2016年03月01日校長先生から

式辞 生憎、荒れ模様の天候とはなりましたが、一進一退しながらも季節は確実に移り変わっていきます。春も間近な本日この佳き日に、北海学園大学学長・木村和範先生、北海学園札幌高等学校校長・大西修夫(のぶお)先生をはじめ、北海学園理事・役員の皆様、校友会、PTA、旧職員など関係各位のご臨席を賜り、また多数の保護者の皆様が見守る中、ここに北海高等学校・第68回卒業証書授与式を挙行できますことは、私たち教職員にとりましてこの上ない慶びとするところであります。北海高校の教育を支えてくださっている皆様に、あらためて心より厚く御礼申し上げます。
第68期390名の卒業生の皆さん、卒業おめでとう。卒業の時を迎えた今、皆さんの胸にはさまざまな思いが去来していることでしょう。本当にいろいろなことがあったことと思います。私たち教職員も、この3年間のさまざまな場面での皆さんの表情を思い起こし、深い感慨をもって今日という日を迎えております。
今年度、北海高校は創立130周年を迎えました。皆さんは創立130周年という記念すべき年の卒業生ということになります。この記念すべき年度に、皆さんは、たとえば硬式野球部が全国最多出場記録を更新して36度目となる夏の甲子園大会出場を果たし、サッカー部も選手権大会全道大会で準優勝、また先ほど学校長賞を授与された柔道部、アイスホッケー部、写真部など、さまざまな方面でまことに目覚ましい活躍を見せてくれました。
北海高校130周年は戦後70年、高校野球100年という節目の年でもあり、さまざまなマスメディアから本校が取材を受けることも度々ありました。そんな中で、特に印象深かった二人の卒業生について話をしたいと思います。
ひとりは大正5年3月に北海中学11期として卒業した佐藤九二男(1897〜1945)さんです。昨年の秋、北海道立近代美術館において日韓国交正常化50周年記念事業として「日韓近代美術家のまなざし」と題した展覧会が開催されました。この展覧会で佐藤さんの日本・韓国の美術界における功績がはじめて紹介され、唯一残された作品である自画像が展示されました。
佐藤さんは1914年(大正3年)に現在も続く本校美術部「団栗会」を創設した方です。「団栗会」は北大の「黒百合会」とともに、当時の美術界の新しい動きに連動し、その北の拠点ともいえる役割を果たしました。佐藤さんは北海卒業後、東京美術学校(現東京芸術大学)に学び、その後朝鮮に渡って美術教師として京城(現在のソウル)の第二高等普通学校に赴任、のちに韓国美術界を牽引することになる幾多のすぐれた人材を育てたということです。佐藤さんは朝鮮に近代美術の種をまくとともに、朝鮮の美術工芸の素晴らしさを認め大切にするよう教えたともいいます。美術史の上できわめて重要な役割を果たしながらも戦前と戦後、日本と朝鮮のはざまで長い間忘れられた存在となっていた佐藤さんの功績が再評価されたことに、私は新鮮な驚きを禁じ得ませんでした。
 もうひとりは、北海中学18期、大正12年3月に卒業した福地靖さんです。同期には北海野球部を38年間にわたって指導し「北海道高校野球の父」と称された飛沢栄三先生や教育者・歌人として活躍した横田昭八先生(拉致被害者・横田めぐみさんの祖父)、そして作家の島木健作(本名・朝倉菊雄)などがいました。福地さんは島木健作に大きな影響を与えた人物と言われています。福地さんは北海中学卒業後、飛沢先生と同じく早稲田に進学しましたが、その後、京城医科大学(現在のソウル大学医学部)に学び、医師として満州に渡って開拓団の人々の生活を支えました。終戦直前、ソビエト軍が満州に侵攻し、開拓団の人々の逃避行や集団自決という悲劇が起きました。福地さんは過酷な状況の中で、冷静な判断を下し、集団自決しようとする人々を生き延びるよう説得して多くの人々の命を救ったということです。福地さん自身は、残念ながら日本に帰ることはできませんでしたが、その人間的な行動は特筆すべきものとしてNHKの番組で取り上げられました。福地さんは飛沢先生と同じく古平の出身で、旧姓は近藤といい、実家は医院でした。現在、「北海道開拓の村」の旧北海中学校からほど近いところにある旧近藤医院こそ、その実家だということもNHKの取材の過程でわかりました。戦後70年を経て、歴史の中から蘇ってきた福地さんの生き方や精神に深い感慨を覚えます。
 佐藤九二男さん、福地靖さん、二人の卒業生のことを知り、私は内村鑑三の「後世への最大遺物」という言葉を思い浮かべました。内村鑑三は札幌農学校2期生で近代日本に大きな影響を与えた思想家です。同期に新渡戸稲造や宮部金吾がいました。ちなみに本校の起源である北海英語学校を創設した大津和多理先生は3期生です。
 「後世への最大遺物」(後の世への最大の遺せるもの)というのは、明治27年(1894年)に内村鑑三が行った講演のタイトルです。講演の内容を要約すると、「私たちが五十年の生命を託したこの美しい地球、この美しい国、この私たちを育ててくれた山や河、私はこれに何も遺さずに死んでしまいたくない。何かこの世に記念物を遺して死んでいきたい。それならば私たちは何をこの世に遺すことができるだろうか。金か、事業か、思想か、これらはいずれも遺すに価値あるものである。しかしこれは何人にも遺すことのできるものではない。またこれらは本当の最大の遺物ではない。それならば何人にも遺すことのできる本当の最大遺物は何であるか、それは勇ましい高尚なる生涯である。」というものです。高尚というのは、程度が高く気品があるということです。
 佐藤九二男さん、福地靖さん、この二人の卒業生は文字通り「勇ましい高尚なる生涯」を送った方々であったと思います。二人はお金や事業や思想を遺したわけではない。しかし、二人の生き方、生涯のあり方は、周囲の人々にとつての励ましであり、支えであり、救済であり、文字通り「後世への最大遺物」となったのです。お金や事業や思想を後の世に遺すことはもちろん立派なことですが、誰にでもできることではない。しかし、自分に与えられた条件、役割の中で人間的に立派に生きようとすること、「勇ましい高尚なる生涯」を送ろうとすることは心がけ次第で可能なことだと思います。
 卒業生の皆さん、どうぞ自分の理想に向かって向上心を燃やし続けてください。「一日一生。一日は貴い一生である。これを空費してはならない」と内村鑑三は述べています。一日一日を大切に生き、二度とないこの人生の中で、自分は何を成し遂げたいかというテーマにしっかりと向き合ってください。そして、自分を生きること、生かすことが他の人々を生かすことにもなる、そういうつながりの中にそれぞれの「勇ましい高尚なる生涯」を創っていってほしいと願います。
 結びとなりましたが、保護者の皆様、お子様のご卒業、本当におめでとうございます。心よりお祝いを申し上げます。またこの3年間、北海高校の教育にご理解とお力添えを賜りましたことに、あらためて感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
卒業生の皆さん、お別れの時がきました。アメリカ英語では、卒業式はcommencementカメンスマントゥといいますが、この言葉は本来、改まって開始するという意味をもつ言葉です。卒業は新たな出発の節目に他なりません。卒業生の皆さんは、北海高校での3年間の生活を終え、それぞれ次のステージでの生活をスタートさせることになります。どうぞ北海高校の卒業生であることに誇りをもち、それぞれが選んだ道をしっかりとした足取りで歩んでください。私たちは現在、変化が激しく、かつ困難な課題の山積する時代を生きています。そんな時代であるからこそ、現象に翻弄されることなく確かなものを見極め、困難に屈することなく未来を切り拓く、そんな人間像が強く求められています。それはいつの時代にも北海高校がめざしてきた人間像でもあります。卒業生の皆さんが、困難を乗り越えて逞しく生き抜き、新たな時代を切り拓いてくれることを心から期待しています。自分らしく、よりよく生きるためにこそ百折不撓であれ、そう切に願ってやみません。
卒業生のみなさんの前途に幸多からんことを祈念して、以上、はなむけのことばといたします。

平成28年3月1日           
北海高等学校校長 山崎省一